陰暦九月九日は、中國(guó)の民間に古くから流行っている伝統(tǒng)的な重陽(yáng)節(jié)である。古代に人々は九を陽(yáng)數(shù)として、吉祥、幸福、光明の象徴に考えていた。九月九日は二つの陽(yáng)數(shù)がかさなり、陽(yáng)月陽(yáng)日になるので、重陽(yáng)または重九と稱した。九九は中國(guó)語(yǔ)の「久久」と同音で、長(zhǎng)久平安の意味があり、一貫して人々から重視されていた。明?清代の皇帝の住居であった故宮の宮殿の間數(shù)も、九千九百九十九間で、長(zhǎng)長(zhǎng)久久の意味をあらわしている。けれども、重陽(yáng)を祭日にしたのは、およそ二千年前の東漢の時(shí)代である。
梁の代の呉均の著『続斉諧記』に、つぎのような內(nèi)容が記載されている。東漢の時(shí)に汝南に桓景という者がおり、費(fèi)長(zhǎng)房という道士に師事した。ある日、費(fèi)長(zhǎng)房は桓景にこう予言した。――「九月九日に、おまえの家は災(zāi)いにおわれる。急いで家族全員に、絳嚢に茱萸の実を入れてひじにかけ、高い所に登って菊花酒を飲むように言いなさい。そうすれば災(zāi)いをまぬがれることができる」
絳嚢とは、うすい赤絹でつくった小さな袋で、茱萸を入れて香袋と稱した。九月九日に、桓景は師のいわれた通りに、全家族のひじに香袋をかけさせ、彼らを従えて高い所に登り、菊花酒を飲んだ。終わってから家に帰って見(jiàn)ると、ニワトリ、犬、豚などの家畜が全部死んでいた。それから、九月九日になると、香袋をひじにかけ、菊花酒を飲み、高い所に登って景色を眺め、邪を避け災(zāi)いを除く風(fēng)習(xí)が民間流行りだしたという。
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