1991年7月、銭其琛外交部長は第24回ASEAN外相會議の開幕式に招待され、中國とASEANの正式な接觸はこれは初めて。以降、中國外交部長は毎年ASEAN外相會議の後続會議に出席。
1994年7月、中國はASEANの協議パートナーとして、タイの首都バンコクで開催された第1回ASEAN地域フォーラム會議に出席し、中國の銭其琛副総理兼外交部長は同會議で、中國のアジア太平洋の安全協力問題に関する5つの原則を提案。
1995年4月、中國とASEANの閣僚(外務次官級)の最初の會合が杭州で開催。
1996年7月、第29回ASEANの常設委員會第6回會議は中國をこれまでのASEAN協議パートナー國からASEANの全面的対話パートナー國昇格。
1997年12月、中國は初めてASEANと中、日、韓(ASEANプラス3)非公式首脳會議に參加。會議では21世紀の東アジア地域の將來性、発展と協力などをめぐって、率直で誠意のある、突っ込んだ意見交換が行われ、さまざまな問題で共通認識が形成。江沢民主席は同會議で、「手を攜えて、共同で未來を創造しよう」というテーマの重要演説を行った。一回目のASEAN-中國(ASEANプラス1)非公式首脳會議の席で、江沢民主席は「21世紀に向けての善隣?信頼パートナーシップ」をテーマで演説。その後の2年間に、中國はそれぞれ第2回、第3回ASEANプラス3、ASEANプラス1非公式首脳會議に出席。
2000年11月25日、第4回ASEANプラス3首脳會議はシンガポールで開催し、中國國務院の朱鎔基総理は席上、中國?ASEAN関係を高く評価すると同時に、今後一時期における雙方間の政治、ヒューマンリソース開発、メコン川流域のインフラ整備、ハイテク、農業、貿易および投資などの分野での協力について具體的に提案。
2001年11月、ブルネイで開催された第5回ASEANプラス3首脳會議で、雙方は10年以內中國-ASEAN自由貿易區を完成させることで一致。
2002年11月4日、中國とASEANの首脳はカンボジアの首都プノンペンで『中國?ASEAN包括的経済協力枠組み協定』に調印。これは中國とASEAN間の自由貿易區構築プロセスが正式にスタートしたことを意味するものだけでなく、中國とASEANの経済貿易協力が新たな歴史的段階に入ったことをも示すものとなった。
2003年4月29日、新型肺炎(サーズ)をめぐる中國-ASEAN特別首脳會議がバンコクで開催。中國國務院の溫家寶総理は會議に出席。會議では地域協力の強化、適切な措置によるサーズ抑制などの問題について議論された。同日、ASEANと中、日、韓の閣僚會議はカンボジアの北部都市シェムリアップで開催。會議では、テロ対策、イラク戦後情勢、朝鮮半島情勢などの地域、國際問題および中國の『東南アジア友好協力條約』などの問題をめぐって議論が交わされた。
2003年10月、第7回ASEANと中國(ASEANプラス3)首脳會議はインドネシアのバリ島で開催。中國政府は『東南アジア友好協力條約』に加入することを発表し、ASEANとの間で『平和と繁栄のための戦略的パートナーシップ』に関する共同宣言を調印。
経済貿易協力の面で、1995年以來、中國とASEANの雙方間貿易額は年平均15%のスピードで伸びている。2005年の中國とASEANの貿易額は前年比23%増の1303億ドル。中國とASEANはすでに互いに4番目の貿易相手となり、ASEANは中國にとって発展途上國の中で最大の貿易パートナーとなっている。
現在、中國とASEAN間の閣僚協議、ビジネス理事會、合同協力委員會、経済貿易合同委員會と科學技術合同委員會は中國-ASEANの5つの対話メカニズムとなっている。
「チャイナネット」2006年10月26日