【作者:エズラ?ヴォーゲル、ハーバード大學教授、フェアバンク東アジア研究センター前主任】
私は1958年、米國の某大學の社會學博士課程を卒業した。卒業論文のテーマは「米國の家庭事情」だった。
この論文をまもなく書き終える頃、ある教授に「米國社會を理解するには、外國に行って外國の社會を知り、比較研究しなければならない。外國との比較無しに、自分の國についてしっかりした文章を書くことなどできないだろう?」と言われた。教授は私のために海外留學の奨學金を申請してくれ、「近代化は比較的進んでいるが、米國と異なる文化を持つ國」に行くよう勧めた。
そこで私は日本に留學することにし、約2年間滯在した。1年目は日本語を學び、2年目は家庭の調査を行った。ある小學校に頼んで日本人家庭を6世帯紹介してもらい、定期的に訪問したのだ。彼らは私にとても良くしてくれた。遠慮からではなく、心から良くしてくれたのだ。彼らと知り合ったのは50年代末だったが、今でも友人として家族ぐるみの付き合いを続けている。
當時の日本の家庭は豊かではなかったが人情味にあふれ、互いに打ち解け合うことができた。私達は政治に関する話はせず、友人として付き合った。
米國人はこういった日々のふれ合いを通じて日本人を見ることが多いが、中國人は抗日戦爭時の殘酷な「経験」を通して日本人を見ている人が多い。ゆえに米國人の日本人に対する印象は、中國人とは大きく異なる。