さらに、GDP総量は一國或いは一地域が一定期間において創(chuàng)出した新しい価値に過ぎず、政府?企業(yè)?個人の間で分配せねばならない。人口が多いほど消耗?消費も多くなるから、一國の実力や裕福の度合いを量るにはやはり1人當たりのGDP水準が最適である。だが、中國1人當たりのGDP水準は世界的に依然として全體の半分以下になる。一方、一國の裕福度は増量だけでなく、もっとストックに目を向けるべきだ。中國は土地が広く物が豊富だが、一部地域の資源が相対的に不充足している。長年、粗放型経営モデルの下で、我々は同様の量を増やすのに相対的に多くのストックを消耗してしまい、資源環(huán)境に多くの負荷を強いた。したがって、購買力平価説によるGDP世界一論はやはり信用できないものだ。
経済発展の究極の目的は國民の生活を改善することにある。現(xiàn)在、中國にとって取り組まねばならないことは、依然として改革や革新を堅持し、GDP英雄論を捨て、短絡な各種行為を見直し、資源環(huán)境をしっかり守ると同時に経済の持続可能な発展を促し、経済発展の局面を多方面で支え全面かつ、均衡的に図ることだ。さらに収入の格差を縮ませ、発展の成果をより多くの國民に屆けること。これら全てが著実に達成できれば、総量の順位はもはやそれほど重要なことではなくなるだろう。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2014年10月16日