1935年に上海で流行した旗袍。
旗袍(チャイナドレス)は中國の民族衣裝だ。起源には諸説あるが、満族女性の伝統(tǒng)的な衣裝だったという意見が主流で、20世紀(jì)初期に改良された。改良地や流行地についても様々な説があるが、上海が改良?流行の地だという見方が一般的だ。
旗袍の流行は當(dāng)時の人々の思想の解放や社會の進歩と密接な関係を持つ。20世紀(jì)初めの西洋文化の「侵入」と新文化運動の「隆盛」により、大都市の「モダンガール」の服裝は大膽さを加え、新しさだけでなく変化も追及されて、巻式だったスカートは西洋風(fēng)のスカートに変わり、スカートの下には長ズボンを著用しなくなった(上海の西洋式の學(xué)校で、多くの女生徒の間で旗袍の袖なしベストや新しいファッション、西洋式のスカートなどの多くの特徴を一體化した旗袍が現(xiàn)れたと言われている)。西洋風(fēng)のスカート姿を受け入れただけでなく、服裝面での男女平等も追求し、従來は一般的に男性の服裝だった長旗をよりゆったりとした新式旗袍に改造している。こうした旗袍は「厳粛で端整」な印象、清教徒のようなイメージを與えるものだ。1930年代の旗袍は満族や清代のスタイルを完全に脫し、1920年代のゆったりとして袖口が広いスタイルも見られなくなった。旗袍はこの時期に発展、成熟して獨自のスタイルを生み出していた。1940年代の旗袍は主に30年代の延長で、當(dāng)時の都市部女性の代表的なファッションだったが、長さがくるぶしまでと短くなっている。旗袍の留め具も多くがチャックやスナップボタンに変わっている。
「人民網(wǎng)日本語版」2011年6月14日