2002年2月に武漢を訪れた。華中師範大學に私が35年間主宰してきた子ども文庫(自宅を開放しての私設児童図書館)の蔵書約4千冊を寄贈するためだった。『14歳の森林』の著者である董宏猷先生と訳者の家野四郎さんが仲立ちして下さった。
私の父は1920年頃宜昌の電力會社に勤めていた。北伐戦爭の前だが、當時珍しくなかった兵亂にあい志し半ばで帰國する。幼い頃その思い出をよく聞かされた。父は中國への懐かしさと中國の人達への愛著だけを私には伝えた。それがずっと念頭にあったから、年をとって文庫を閉じたら湖北省の大學へその本を送ろうと早くから決めていた。
家野さんと二人で大學の招待所に泊めて頂いたのだが、東湖の靜かなたたずまいや勉學に集中する大學の緊張感など爽やかな記憶が忘れられず、三年たってもう一度訪問した。その時も家野さんが一緒で、大學だけでなく新裝なった武漢図書館も見學した。
さて、子どもたちと一緒に児童文學を読み続けて人間の一人として、私には中國の児童文學に幾つかの不満と期待がある。武漢で私は、どこの國とも同じようなハリー?ポッターの人気を知った。ハリポタは確かに面白いが、ただそれだけのこと。英米のファンタジー文學を論ずるならば、これは所詮二流のエンターテイメントに過ぎない。日本の子にも中國の子にも本當に読んでほしいのは、主人公になりきる興奮と熱中のなかで、人生や社會への洞察を學びつつ深い精神性を感じる作品である。現代は洋の東西を問わず物質萬能だから、かえってファンタジーがもてはやされるのだろうが、その第一がエンターテイメントでは子どもは不幸である。ファンタジー児童文學の本家である英米には、例えば指輪物語のような、ゲド戦記(英語では Earthsea Cycles )のような壯大な神話的な作品がある。中國語に訳す人達も流行でなく本物を先に広めてほしいと思う。日本の児童文學者とその読み手たちは、戦後六十年間西歐のそれを超えようと営々と努力し討論し続けてきた。その中間総括でもある1980年代を中心にする日本児童文學のもっとも充実した時期の一群の本は、(西歐ものの日本語訳も含めて)華中師範大學の資料室に私の名前で所蔵されている。関心のある人には日本の到達點がみて頂けると思う。中國の文學土壌は極めてリアリズムであるからこそ、三蔵法師の伝記から西遊記を生んだ。とすれば大革命と改革開放の激動の歴史が、より壯大なファンタジーを生まないわけがない。いまのところ學園小説が多いのは當然だとしても、『十四歳の森林』から『影との戦い』(ゲド戦記の1)との間の距離はそれほど遠くない。そのことを私は確信し期待している。
日本と中國の絵本のことも、同好の人と話しあいたいもう一つのテーマである。命あるうちにもう一度訪中したいものです。
(筆者は日中児童文學美術交流センター會員?志々目彰さん)
「チャイナネット」2007年8月22日