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「南京!南京!」屈辱でなく中國(guó)人の栄光を語(yǔ)る |
発信時(shí)間: 2009-04-22 | チャイナネット |
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映畫(huà)の大筋: 1937年12月、日本軍による南京攻略が始まった。多くの國(guó)民黨の兵士が壊走してゆく中、投降を拒否して南京に留まった兵士もたくさんおり、南京のあちこちで絶望的かつ悲慘な抵抗が繰り広げられた。その中に國(guó)民黨の精鋭部隊(duì)の一員であった陸剣熊もいた。しかしながら抵抗は失敗に終わり、數(shù)十萬(wàn)の中國(guó)人の血によって長(zhǎng)江が染まった後、南京は陥落して死の地と化した…… 関連の資料: 陸川監(jiān)督が4年の歳月をかけて作り上げた映畫(huà)「南京!南京!」のプレミアム上映會(huì)が16日、北京で開(kāi)催された。平均年齢35歳以下の制作チームは、1937年に起こった南京大虐殺に対する若い映畫(huà)人の思いを映畫(huà)を通じて表現(xiàn)している。 映畫(huà)「南京!南京!」の監(jiān)督が記者のインタビューに応じ、「この作品は屈辱ではなく中國(guó)人の栄光を語(yǔ)るものだ」と話した。インタビューの內(nèi)容は以下の通り。「武漢晩報(bào)」が伝えた。 <視點(diǎn)>単なる方法論であって、わたしの世界観ではない。 記者:「南京!南京!」はどうして日本人の視點(diǎn)から撮っているのか? 陸川監(jiān)督:まず偏見(jiàn)を捨てて、平常心になってください。これは単なる方法論であって私の世界観を代表するものでも、私の感情でもない。戦爭(zhēng)を反省している日本人がいるのかと聞かれれば、「いる」と答えます。その資料をお見(jiàn)せしよう。この點(diǎn)を認(rèn)めても中國(guó)人が損するわけではない。反対に世界からより尊重を受けることになる。これまでの私たちの映畫(huà)はすべて自分たちの角度から語(yǔ)ったものだった。自己満足に浸っても永遠(yuǎn)に外には出られない。 記者:今インターネット上で「日本人の弁護(hù)をしている」という聲があるが。 陸川監(jiān)督:心底無(wú)私であれば天地寛(ひろ)し。まだこの映畫(huà)を観た人は少ない。あなた方が最初の観客だ。インターネット上の情報(bào)は面白おかしければいいというところがある。まず情報(bào)ルートを買収して、それから世論を誘導(dǎo)する。観衆(zhòng)に対する一種の組織的な誘導(dǎo)であって、正當(dāng)でない業(yè)界競(jìng)爭(zhēng)だ。私だって民族感情を晴らすものを撮ることはできるが、それが何の役に立つのか?國(guó)に対する思いがなければどうして4年もこの映畫(huà)に捧げることができるだろうか。4年ですよ、大學(xué)も卒業(yè)できますよ。私たちのこの若いチームはこの國(guó)のために何かしたいだけです。 <立場(chǎng)>屈辱ではなく、中國(guó)人のかつての栄光を語(yǔ)る 記者:しかし、映畫(huà)館に行って再びこの沈痛な歴史に面と向かうよう、どうやって観衆(zhòng)を説得しますか。 陸川監(jiān)督:私が撮影したのは苦難ではないし、苦難をひけらかしたり、並べ立てたりもしていない。ただ真実を再現(xiàn)しただけだ。私は多くの史料を読み、感動(dòng)で涙にむせばんだ。當(dāng)時(shí)南京の指揮官が逃げても抵抗を止めることなく、いたるところで銃聲が響き渡り、日本人は南京城を一歩進(jìn)むたびにおびただしい代価を支払わなければならなかった。どうして南京大虐殺があったのか?それは私たちの抵抗が凄まじかったからだ。劉助?(リウ?イエ)の演じた市街戦は本當(dāng)にあったことだ。私が撮影しなかったら知られることはなかった。これまでの歴史學(xué)者は中國(guó)人の抵抗を語(yǔ)りたがらないが、どうして屈辱を証明するために抵抗を消し去るのか。これは侵略戦爭(zhēng)だ。抵抗したからといって何の権利があって殺戮するのか?私はこの事件を掘り返したかった。 この映畫(huà)は屈辱ではなく、中國(guó)人のかつての栄光を語(yǔ)るものだ。抵抗の火種は一度も打ち消されることはなかった。映畫(huà)の中の一人一人の抵抗が私たちに希望をもたらしてくれる?!笎?ài)を読むひと」のプロデューサー?ハーヴェイ?ワインスタイン氏は「南京!南京!」の北京試寫(xiě)會(huì)に特使を派遣してきた。本人は香港でこの映畫(huà)を鑑賞し、買い取ることを約束した。また、この映畫(huà)を通じて中國(guó)人の今日の業(yè)績(jī)を理解し、この映畫(huà)は大使のごとく全世界を駆けめぐり、中國(guó)人民の勇気と尊厳を人々に知らしめるだろうと話していた。これまで中國(guó)映畫(huà)は世界にどういったイメージを配信していたのだろうか。 <勇気>ルールに屈するのではなく、自分の撮りたい映畫(huà)を撮る。 記者:劉助?と高円円(ガオ?ユエンユエン)のラブストーリーをどうしてカットしたのか? 陸川監(jiān)督:もしそのまま殘していたら、もっと映畫(huà)らしく、もっと伝統(tǒng)的になっていたかもしれない。ラブストーリーもうまく撮れたが、それだと、歴史がこの2人のためにあるようなものだ。歴史が背景となって「タイタニック」のようになる。映畫(huà)館を出たときに、この2人の愛(ài)に涙しているだろうが、この歴史や中國(guó)人の運(yùn)命に感動(dòng)はしないだろう。歴史は結(jié)局映畫(huà)のためにあるのか、映畫(huà)の調(diào)味料なのか?それとも映畫(huà)が歴史のためにあるのか?と考え、後でごまかすまいと思った。観衆(zhòng)は4年間甘い汁(4年間の國(guó)産映畫(huà)のこと)を吸ってきたんだから、ここで少々苦汁を飲んでも大丈夫だろうと。だからこの映畫(huà)は勇敢だと思う。一つ一つの出來(lái)事であって、メインストーリーがあるわけではない。でもこれは私が30數(shù)歳の時(shí)にやりたかったことだったからルールに屈することなくやる勇気があった。 記者:映畫(huà)の結(jié)末でどうしてあんなに時(shí)間を割いて日本軍の祝賀パレードを表現(xiàn)したのか? 陸川監(jiān)督:長(zhǎng)いですか?2分もないですよ。ずいぶん長(zhǎng)く感じられましたか?実は警鐘を鳴らしているのです。私たちは常に軍國(guó)主義を打倒すると口にするが、軍國(guó)主義を見(jiàn)たことがありますか?この場(chǎng)面がそうです!ここで表現(xiàn)したかったのは戦爭(zhēng)がいかに人の魂をコントロールするかということ。戦爭(zhēng)が起こる前には必ず文化によって戦爭(zhēng)の執(zhí)行者への洗脳が行われる。精神の絶対的なコントロールと占領(lǐng)こそが戦爭(zhēng)の本質(zhì)です。戦爭(zhēng)の核心的結(jié)果は、異なる民族の文化を被侵略者の廃墟の上で踴らせることです。これは私が夢(mèng)の中で思いついたことです。2007年8、9月に腳本と葛藤しているときにうたた寢をして、うとうとしながらこの場(chǎng)面を夢(mèng)見(jiàn)ました。 <自分で自分を説得する> 記者:撮影中、日本人俳優(yōu)を説得するのは難しかったか? 陸川監(jiān)督:彼らは自分で自分を説得していました。日本の一部の學(xué)者、例えば松岡環(huán)女史の著作「南京戦?元兵士102人の証言」には映畫(huà)の中の暴行シーンがすべて描かれている。私は彼らにこの本を読ませました。私たちの間は契約関係で成り立っています。彼らは自分の役を信じてうまく演じ、私は彼らに演技を強(qiáng)制しません。お互いが納得してから演じます。でなければ私のイメージする鬼のような日本兵となってしまう。彼ら自身が理解し、表現(xiàn)する必要があります。彼らは一人一人が長(zhǎng)文の人物像を書(shū)き出し、私の方向性を理解しようと努めていました。私たちは協(xié)力して楽しく撮影ができました。 インタビュー後記: 陸川監(jiān)督の最大の望みは「南京!南京!」を日本で上映することだという。同じ題材を扱った「ジョン?ラーベ」は日本で上映禁止となった。陸川監(jiān)督によると、日本には映畫(huà)の上映を禁止できる機(jī)関がないため、理論的には「南京!南京!」の日本上陸にはなんら障害はないが、日本の発行元がこの映畫(huà)を買いとるかどうかが唯一のカギを握っている。陸川監(jiān)督と彼のチームは今もこのために努力を続けている?!袱嗓螭世щyでも撮影に比べればなんてことない。私たちは4年も粘ってきたんだ!」。陸川監(jiān)督は「南京!南京!」の冷靜さと客観性が、「南京!南京!」を世界の片隅にまで行き渡らせると確信している。 ?人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?2009年4月22日 |