「南京!南京!」の撮影チームは長(zhǎng)春(吉林省)に3000萬(wàn)元以上を使って當(dāng)時(shí)の南京を復(fù)元した。設(shè)計(jì)図には南京城の構(gòu)造や比率、建物の位置などが詳しく記されていた。
陸川監(jiān)督はかつてスタッフに「私の中では、戦場(chǎng)は冷たく、濃い煙が立ち込め、戦火と血の気のないもの」と話したことがある。70年前の戦場(chǎng)は、一般市民のイメージとはまるで違うと陸川監(jiān)督らは気づいた。簡(jiǎn)単に言えば、弾丸が壁に打ち込まれて煙を放ち、手榴弾が投げられて爆発するといった感じで、例えば戦車が砲弾を放って白い煙が立ち込めたり、多くの戦爭(zhēng)映畫(huà)のように戦場(chǎng)がどこもかしこも人、人、人という人々がイメージする広大なものではなく、戦場(chǎng)は冷たく、そんなに多くの人もいないものだ。
陸川監(jiān)督は経験から「私は8年間軍隊(duì)にいたが、多くの友人がこれ(「南京!南京!」の戦場(chǎng))こそ正しいと言ってくれた。現(xiàn)代の火薬兵器を使う時(shí)代に戦場(chǎng)にそんなに多くの人がいるわけがない。ひとつの手榴弾で一部隊(duì)の半分がやられてしまう。必ず散兵線を敷いていたはずだ」と話す。
映畫(huà)では戦爭(zhēng)の細(xì)かい部分も非常にこだわった。例えば、手榴弾から放たれる煙は一つ一つ違うし、銃聲も1年がかりでテストを繰り返し、「音聲実験場(chǎng)」(射撃場(chǎng)で撮影用の銃を打ち、その銃聲を録音し映畫(huà)で使用)まで組み立てた。
?人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?2009年4月22日