今から68年前の1937年7月7日、「7?7事変(盧溝橋事件)」が勃発し、中國の全人民による抗日戦爭が幕を開けた。
<7?7事変の経緯>
1937年6月下旬、北京郊外の豊臺に駐屯する日本軍第1連隊が演習を実施した。
7月6日、日本軍の隊列が盧溝橋の通行を求め、橋の守備部隊に阻まれる。10時間に及ぶにらみ合いの末、日本軍が退卻した。
7月7日夜、日本軍の1個中隊が盧溝橋の中國側守備軍の哨戒所から數百メートルの距離まで迫り、「実弾演習」を行った。
深夜11時ごろ、宛平城東側から銃聲が聞こえ始めた。しばらくして、日本兵士數名が宛平城の下に現れ、兵士1人が失蹤したことを口実に、場內の捜索を要求。中國軍が根拠のない同要求を斷ったところ、日本軍の牟田口廉也大佐が部下に「反撃」を命令した。
8日未明の午前5時ごろ、援軍と合流した日本軍がにわかに宛平城への攻撃を開始。守備に當たっていた29軍の37師団?219連隊は奮起して反撃し、粘り強い抗戦を展開した。
寫真(上):日本軍に占領された盧溝橋
寫真(中):盧溝橋の防衛に當たった29軍による日本軍への抗戦
寫真(下):宛平城から応援に駆けつけた第29軍の宋哲元部隊
「人民網日本語版」2005年7月7日