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日本の「毒ガス島」を訪ねる(3)

「毒ガス島」は毒ガス戦の罪業を訴えている。山內先生が述べた通り、「毒ガス島」が伝えるのは歴史のみならず、現在の問題でもあり、「毒ガス問題は現在も進行中」なのだ。一部毒ガスが島內に埋沒されたため、致死性毒物の長期殘留もしくは地下浸透を招き、當時処理にあたった人の中には、胃や肺の病で若くして亡くなった例が少なくない。現在も多くの人が後遺癥で苦しんでいる。1996年に、當時の環境庁が「毒ガス島」の土壌や水質を調査した際、當地の土壌に大量の砒素が含まれていることが分かり、汚染濃度は最大で正常値の470倍に達した。政府は巨額の資金を投じて汚染した土壌を掘り起こし、秋田県の工場へ送って処理することを余儀なくされ、最も汚染がひどかった地域は深さ6メートルも掘り起こされた。大久野島の地下水は現在も飲用できず、完全に島外からの輸送に頼っている。海水浴場や防波堤を修復した際、イペリットガスや青酸ガス中毒事件がたびたび発生し、島內および近海地域に今もびらん性毒ガスが殘留していることが証明された。

中國侵略日本軍は中國で幾度も毒ガス戦を発動しただけでなく、1942年5月27日に河北省定州北■村で発動した毒ガス戦では、上坂少將が指揮した日本軍が地下道に毒ガスを流し、數千人にのぼる住民を死亡させた。また敗戦後は、大量の化學砲弾を中國の田畑や野原、河川に投げ捨てた。明らかになったものだけでも、その數は200萬個以上、中國各地の十數省市に及び、戦後60年たった今日でも、日本軍が遺棄した化學兵器が中國で平和に暮らす人々を脅かしている。

山內先生の案內で、我々は竹原市の藤本安馬宅を訪問した。80歳になろうかという藤本老人は、現在「毒ガス島歴史研究所」の顧問を務めている。彼は14歳で毒ガス工場に入り、3年余り働いた。藤本氏は、自分は戦時中に中國へ行ったわけではないが、同じく加害者の一人であり、慙愧に耐えないと話す。彼の話では、當時毒ガス製造に関わった人間はほぼ例外なく後遺癥を抱えており、最も多いのが気管支炎で、ガンになったり、胃や肺の病を抱える人の比率は通常の4倍という。當時は、島內の至るところで憲兵が監視し、働きたがらない人間は直ちに戦場へ送られた。工場內では労働災害が絶えず、戦爭末期になるにつれ労働量はさらに増大した。戦後は「誓約書」へサインし、「毒ガス島」の秘密を何人にも漏らさないよう強要され、拒否すれば逮捕されかねなかった。數年前、中國で毒ガス缶が発見されたというニュースをテレビで見たとき、「これはかつて大久野島で生産されたものだ。いまだに災いのもとになっているなんて!」と全身が怒りで震えた。長年沈黙を守っていた藤本氏は、1944年より、「毒ガス島」で行われた罪業について積極的に証言しはじめ、同時に中國での謝罪活動を開始した。

2004年8月、藤本氏と「毒ガス島歴史研究所」の同僚が中國を訪問し、自分の経験談から日本軍の暴行をさらけ出した。藤本氏は生ある限り、歴史の醜悪をあばく「証言者」であり続けると心に決めている。

■=田ヘンに童

「人民網日本版」2005年8月4日

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