日本の角田義一?參議院副議長がこのほど中國を訪問した。角田副議長は弁護士出身で、白銀の髪が印象的。訪中は今回で2回目となる。14日から16日にかけ、角田副議長は北京市、天津市を訪問しながら、日中関係の歴史を振り返った。角田副議長の訪問中の言葉をここに紹介する。
<11月14日:北京で>
今回の日本參議院議員代表団の訪中の目的は主として二つある。一つは、日中関係は困難な時期にある今、議員交流を強めることで相互理解を深め、両國関係を発展させること。二つ目は、中國側(cè)と両國の議員交流を促進するメカニズムを探ることだ。
中國人民抗日戦爭と世界反ファシズム戦爭勝利60周年を記念する大會での、胡錦濤國家主席の演説を拝読した。中でも特に感銘を受けたのは、「歴史を記憶に刻むことは、恨みを抱きつづけるためでは決してなく、歴史を鑑(かがみ)とし未來に向かうためであることを、われわれは強調(diào)したい。過去を忘れずに教訓(xùn)をくみ取って初めて、歴史の悲劇の再演を避けられるのだ」という箇所だ。
私は胡錦濤主席が提案した中日関係の発展に向けた5つの主張に賛同する。
<11月15日:天津で>
私が天津を訪れるのは、87歳の羅雲(yún)氏にごあいさつするためだ。1960年代、彼女は中國人民世界平和擁護協(xié)會の天津市分會副會長だった。羅氏は1964年、代表団を率いて日本の群馬県を訪問し、日中の地方レベルの友好交流の扉を開いた。41年ぶりの再會に、われわれは感激するばかりだった。私の父、角田儀平治は第二次世界大戦期間中、戦爭に反対したことで逮捕され、3年間を獄中で過ごした。60年代、父は群馬県知事に任命され、中國から強制連行された労働者たちの遺骨を返還するため、1960年に天津を訪問した。60年代といえば、まだ日中の間には國交が回復(fù)しておらず、當時の日本政府は日中の民間交流をあの手この手で邪魔したが、羅氏や私の父などの先人が數(shù)多くの困難を克服した。日中関係が直面している現(xiàn)在の難局は、われわれが目にしたくないものだ。われわれは先駆者が切り拓いた両國の友好という偉業(yè)を引き継ぎ、日中関係の発展に努力しなければならない。
羅雲(yún)氏を訪問した後、角田副議長は天津の周恩來?鄧頴超記念館を參観。參観後、「周恩來精神永垂不朽(周恩來首相の精神は永遠に不朽である)」と揮毫した。
<11月16日:北京市豊臺區(qū)宛平城で>
角田副議長は中國人民抗日戦爭記念館を訪れ、中國人民抗日戦爭と世界反ファシズム戦爭の勝利60周年を記念する展示「偉大な勝利」を參観。參観後、「日中友好永不磨滅(日中友好は永遠に不滅である)」と揮毫した。
戦爭は悲慘で、殘酷で、無情なものだ。(展示を見て)私は改めて、戦爭の悲劇は絶対に繰り返してはならない、と心に誓った。展示の中でもっとも心が痛んだのは、女性や子どもたちが殘酷に殺害されている姿だった。
寫真:40年前の會見時の寫真を角田副議長に贈る羅雲(yún)氏
「人民網(wǎng)日本語版」2005年11月17日