木村兵太郎(1888-1948)
東京都出身。日本陸軍士官學校第20期(1908年)卒業生、1916年にさらに陸軍大學を卒業。1936年に少將に昇進、1939年に中將に昇進、南京を侵略する第32師団師団長を務めた。1940年に関東軍參謀長に就任。1941年に陸軍省次官に就任、中國侵略戦爭の企畫、策定と太平洋戦爭発動のすべての重要な決定と陰謀?計畫に參加した。1943年に軍事參議官兼兵器行政本部部長に就任。1944年にビルマ(現在のミャンマー)方面軍司令官に就任、「ビルマにおける殺し屋」と呼ばれた。1945年5月に大將に昇進、1948年11月12日に極東國際軍事法廷にA級戦犯として死刑を言い渡され、同年12月23日に絞首刑に処せられた。
「チャイナネット」資料