2002年に中日國交正常化はその「而立の年」(30歳の意味)を迎えることになった。30年このかた、中日関係には大きな変化が生じ、両國関係は21世紀(jì)の初期においてさまざまな新たな特徴を見せている。21世紀(jì)の中日関係は新しい基礎(chǔ)の上で曲折しながら発展していくことになろう。 基礎(chǔ)的條件には新しい四つの大きな特徴が見られる 21世紀(jì)の初期において、中日関係は國力、心理、利益、政策などの面で新たな特徴を見せており、その総和は今後の中日関係発展の基礎(chǔ)的條件を構(gòu)成するものとなっている。 第一の特徴は、総合的國力に日ましにバランスが見られることである。 長い古代史は基本的に「中國が強(qiáng)くて、日本が弱かった」という歴史であったが、約百年の近代?現(xiàn)代史は主に「日本が強(qiáng)くて、中國が弱かった」という歴史であった。第二次世界大戦の後、中日両國は米ソ冷戦の枠組みに妨げられて20余年にわたる政治関係の斷絶期をたどってきた。1972年の中日國交正常化は両國が冷戦の枠組みの制約を乗り越えて相互間の関係を発展させるために、扉を開けるものであった。1978年以後、中國は改革?開放の道を歩むことになり、近代以來の貧しくて弱かった狀況を改めるための道の地ならしをした。1983年に、當(dāng)時の中曽根首相は「政治大國」になることを目指す目標(biāo)を打ち出し、それは日本が「経済の巨人、政治の小人」の戦後體制から抜け出すことを目指し始めたことを示すものであった。20世紀(jì)90年代になると、中國の経済における大國化と日本の政治における大國化には雙方向、交叉な発展の趨勢が現(xiàn)れた。中日関係は「中國が強(qiáng)くて、日本が弱かった」と「日本が強(qiáng)くて、中國が弱かった」という二種類の形態(tài)を経た後、初めて中日両國の國力が均衡に向かう「中日がともに強(qiáng)大になる」趨勢を見せるようになった。 靜態(tài)的に見て、日本の経済力は依然として中國より強(qiáng)い。ドルで換算すれば、日本のGDPは中國の4倍以上で、日本の一人當(dāng)たりのGDPは中國の40倍となっている。動態(tài)的に見れば、中國はこれまでの10年間、日本との國力における格差を縮小しつつあるとともに、今後の15―20年に経済の規(guī)模の上で日本に追い付くか追い越し、経済の質(zhì)の上で日本との格差をさらに縮小する趨勢が現(xiàn)れた。例えば、「購買力平価説」(PPP)で計算すると、現(xiàn)段階の中日両國の國力における開きは前述の數(shù)値よりずっと小さいはずである。 當(dāng)面について言えば、中日両國の國力における均衡は逐次それが達(dá)成される趨勢にあり、より多くの表われは「心理的に予期する均衡」である。しかし、國際政治と対外影響力の角度から見ると、長年來、中國は國際體系の中で獨(dú)特な政治的地位を確立し、経済と技術(shù)の分野において飛躍的な発展と全面的に先進(jìn)國に追い付き追い越す姿勢をとっている。國力に変化が生じているこの趨勢は中日両國の戦略的心理、外交スタンスと相互関係に大きな影響をもたらすことになっている。 第二の特徴は相互依存が日増しに大きくなっていることである。 中日國交正常化30年來、中日関係は大きな発展をとげ、深くて厚い基盤ができあがっている。 政治の分野において、1972年9月29日の「中日共同聲明」と1978年8月12日の?中日平和友好條約?は中日間の最も重要な政治と安全の事項について原則的規(guī)定を行った。1998年11月26日の「中日共同宣言」は、冷戦後の新しい情勢のもとでの中日関係の諸原則について、補(bǔ)足規(guī)定を行った。この三つの基本文書の導(dǎo)きのもとで、中日両國の政治関係に大きな進(jìn)展が見られ、両國のハイレベルの間の往來および政府間の交流と協(xié)力が日増しに密接になっている。 安全の分野において、中日間の三つの基本文書は両國の善隣友好と永遠(yuǎn)に戦爭をしないための基礎(chǔ)を打ち固めた。近代?現(xiàn)代史を顧みれば分かるように、ここ30年間、中日関係は19世紀(jì)後期以來の最良の狀態(tài)にある。近年、中日間の安全についての対話と交流もスタートしており、國防の分野におけるハイレベルの相互訪問もすでに行われており、將兵の交流も始動が待たれており、艦艇の相互訪問などの軍事的交流を?qū)g現(xiàn)することも望まれている。 経済貿(mào)易の分野では、1972年の中日貿(mào)易の総額はわずか10億3800萬ドルであったが、2001年はすでに892億ドル(日本側(cè)の統(tǒng)計)に達(dá)した。日本はすでに10年近くも中國の最大の貿(mào)易パートナーであり続け、中國はなが年日本の第二位の貿(mào)易パートナーであり続けている。中日貿(mào)易は強(qiáng)みの相互補(bǔ)完を踏まえて、「垂直分業(yè)型」から「水平分業(yè)型」へシフトしている。日本は中國の外資誘致、技術(shù)導(dǎo)入の主な相手國の一つである。2000年7月末現(xiàn)在、中國が日本の資金を誘致した累計取り決め金額は370億2600萬ドル、実際利用額は265億8000萬ドルに達(dá)し、日本はアメリカに次いで二番目の対中投資國となっている。日本政府は1980年から中國に政府開発援助資金を提供している。2000年まで、その対中政府借款総額は2兆6507億700萬円に達(dá)し、無償援助は1233億2500萬円、技術(shù)協(xié)力は1244億4100萬円となっている。 民間では、中日各界の人的交流が速やかに拡大し、前世紀(jì)70年代初期のわずか數(shù)千人の相互往來から年間平均數(shù)百萬人の相互訪問へと発展をとげている。2001年における日本から外國に赴いた観光者數(shù)の中で中國を訪問したものの數(shù)が第一位の238萬人に上昇した。中日両國間の友好都市はすでに200組を超えるに至った。 第三の特徴は心理的要素が対等へと向かっていることである。 古代においては、中國人はみずからを「華」とみなし、他國を「夷」とみなす自己中心の意識を形成していた。近代に入って以來、日本人は「脫亜入歐」、東アジアをないがしろにする優(yōu)位の意識を形成するに至った。中日関係の歴史が示しているように、中日両國が歴史において前後して形成することになった優(yōu)劣の心理および近代?現(xiàn)代にもたらされた歴史的な憎しみと感情的隔たりは根深いものであり、今になっても真に緩和されてはいない。20世紀(jì)の末期と21世紀(jì)の初期における中日両國の國力の均衡化の趨勢を背景として、両國の間に感情的葛藤がさらに激しくなったような局面が現(xiàn)れた。その実、これはほかでもなく、中日両國の相互心理の趨勢が対等に向かって転換する契機(jī)と、どうしても経なければならない段階である。 日本はかつて歐米の列強(qiáng)に対する「追い付き追い越すもの」と後発の非歐米の「経済の巨人」であった。現(xiàn)在、中國は日本の臺頭に次いでの東アジアの「目覚めたライオン」と「飛び立つ竜」となった。往時において、歐米諸國はかつて、複雑でバランスを失った心理狀態(tài)で日本という「なりあがりもの」の臺頭を見守り、一部の心理狀態(tài)がねじまげられたものに煽り立てられて、「日本脅威論」が歐米で一時はやった。現(xiàn)在、中國が百年にわたる深い眠りから目覚めて、ついに現(xiàn)代化の高速車線を走るようになった時、日本と歐米の一部の人も人には言えない心理に駆使されて、「中國脅威論」が西側(cè)のマスメディアの上で流行り出した。 當(dāng)面、中日関係は相互心理を調(diào)節(jié)する移行期にある。中日両國の人々はいずれも、両國間の利益における相互依存は歴史上一番よい時期にあり、相互間の交流はすでに遮ろうとしても遮ることのできない勢いとなったことを見て取ることができるはずである。そのため、當(dāng)面の中日関係に対しては、樹木しか見えず、森林が見えないようなことになってはならず、両國関係が速やかに発展をとげている全局と主流を見極めるべきである。 第四の特徴は相互間の政策にあらためて目を向けることである。 國力、利益、心理の変化の趨勢を背景として、中日両國はいずれも、あらためて相手を見ている。1998年11月、中日両國は「平和と発展に取り組む友好協(xié)力パートナーシップ」を構(gòu)築することについて共通の認(rèn)識に達(dá)した。1999年以來、中日関係は國の指導(dǎo)者間の往來、経済貿(mào)易、安全をめぐっての対話、地域的協(xié)力などの面でいずれもさらなる発展をとげた。中日両國の「パートナーシップ」を構(gòu)築する過程は、両國がたえず政策、心理狀態(tài)と相互関係を調(diào)整する過程である。當(dāng)面、この過程は正しい軌道に一応乗った段階にあり、中日両國の間で戦略的な、相互信頼の、新しいタイプの関係を形成するには依然として任重く道遠(yuǎn)しということを冷靜に見て取らなければならない。 政策が互いに働きかけ合うことはだんだんと戦略的対話に転じている 中日國交正常化以來、両國の間に両國関係の基礎(chǔ)を揺るがす可能性のある潛在的な摩擦としての要素が終始存在し、30年來の中日間の政治的摩擦は次のような三つの特徴を挙げることができる。 一、さまざまな矛盾が互いに絡(luò)み合い、悪性の循環(huán)に陥っていること。 20世紀(jì)90年代になると、中日間の潛在的な政治的摩擦の要素は歴史、臺灣、安全、領(lǐng)土、経済という五つの大きな分野に要約されるようになった。これらの問題はそれぞれの原因と解決策もあれば、「一つを動かすだけで全局に影響を及ぼす」ものでもある。例えば、歴史の是非曲直をめぐる爭いはいつも感情的な衝突を引き起こし、それにこの感情的な衝突はまた政治的往來と安全についての対話にマイナス面の世論の圧力をもたらすこともあり得る。中日関係が成熟に向かっている重要なメルクマールの一つはとりもなおさず、両國政府と民間が発生した事件に理性的に対処し、具體的な問題に対し具體的に分析を行い、一種の摩擦にいま一つの摩擦に火をつけさせない斬新な局面を逐次形成するようになったということである。2001年に、中日両國が「李登輝の訪日事件」、「教科書問題」「靖國神社參拝問題」などについての政治的摩擦と「ネギをめぐっての貿(mào)易戦爭」の経済的摩擦を処理した時に取った「政経分離」のやり方から、すでに摩擦のエスカレーションを抑制する良好な効果を一応見て取っている。 二、政府と民間、主流と支流が複雑に交錯していること。 中日間の政治的摩擦はいつも次のような二つの互いに関連しあう重要な問題とかかわりをもつものとなっている。一つは、いったいいかなる摩擦が政府の責(zé)任に屬し、いかなる摩擦が民間の行為なのかということで、二つは、いったい両國社會の主流と支流をいかに見るかということである。今後、中日両國政府と民間はこの二つの大きな分野について長期の、ねばり強(qiáng)い、高水準(zhǔn)の対話を引き続き行うべきである。 三、中日雙方はいずれもアメリカのマジックミラーを通じて相手を見る傾向があること。 20世紀(jì)90年代に入って以來、日本の中國社會を観察する多くの理論ひいてはいくつかの偏見はいずれも「メイド?イン?USA」というラベルが付いている。中國の市場経済化につれて、中國の経済界が日本経済を考察する多くの観點(diǎn)ひいては偏見もアメリカのとてつもなく大きなマスメディアの影響を日増しに受けるようになっている。 多くの潛在的矛盾が中日両國の間に絶えず摩擦が起こることになったにもかかわらず、中日関係は依然として曲折を経ながらも持続的に発展をとげている。客観的な基礎(chǔ)から見て、その根本的な原因は両國の間に潛在的な摩擦要素が存在するばかりでなく、これらの摩擦要素を抑制する「どちらも相手側(cè)から離れることができない」共通の利益と幅広く、厚い民間往來の基礎(chǔ)が存在していることにある。 國交正常化以來、中日関係は20年間の「平和友好」を経て、再調(diào)整期に移行し、現(xiàn)在は「友好協(xié)力パートナーシップ」をともに構(gòu)築する時期に入っている。中日「パートナーシップ」は広範(fàn)囲のコンセプトであり、現(xiàn)段階において、人々は少なくともこのコンセプトの一部の內(nèi)容を取り除き、一部の內(nèi)容を留保することができる。まず、中日両國は敵となるべきではなく、パートナーになるべきである。その次に、中日両國は同盟になることはあり得ず、協(xié)力パートナーになるであろう。中日「パートナーシップ」の具體的な內(nèi)容は、両國関係の発展過程の中で絶えず充実され、発展することになろう。 當(dāng)面、中日両國が「パートナーシップ」に向かう歩みは、具體的な論爭から戦略的対話を行う段階に入りつつある。中國の経済大國化の趨勢と日本の政治大國化の趨勢により、中日関係は低水準(zhǔn)において論爭を行う局面を引き続き維持することが難しくなった。この現(xiàn)実は、中日両國に日増しに相手を直視させ、これによって互いに戦略的対話を行う心理狀態(tài)と役割へとだんだん入りつつある。 中日両國の「ウィン?ウィン」を目指す最良の道は東アジアの協(xié)力である 中日両國が戦略的対話に向かったことは、両國関係がより高い次元に入る入口にあることを意味している。近年來、中日両國の各界のエリートたちは21世紀(jì)の中日関係の青寫真を描いている。さまざまな案の中で、中日両國がともに「東アジア共同體」を構(gòu)築するパターンが、中日両國の「ウィン?ウィン」という発展の展望を最も具現(xiàn)しうるものである。 地域一體化は現(xiàn)在の世界経済のグローバル化と同時に発展をとげている二つの大きな潮流の一つである。環(huán)太平洋地域には、アジア?太平洋、東アジア、東南アジアと北東アジアという地域と亜地域構(gòu)造が存在しており、そのうち、東アジア協(xié)力メカニズムの発展が明らかに遅れている根本的な原因は、中日両國がまだ東アジア協(xié)力の推進(jìn)について戦略的な共通の認(rèn)識に達(dá)していないことにある。東アジアの二つの大國である中日両國は強(qiáng)大な國力と大きな対外影響力を持っている。中日協(xié)力がなければ、「東アジア共同體」の展望はどう見ても一種の現(xiàn)実ばなれの幻想となるほかない。中日両國は「東アジア共同體」をともに推し進(jìn)めるなら、中日両國が地域協(xié)力メカニズムに融け込み、その中で東アジアの二つの主な大國としてその他のメンバー國と睦まじく付き合い、共通の発展を目指すことを意味するものとなろう。 中日両國が「東アジア共同體」の発展をともに推し進(jìn)めることは、21世紀(jì)における長期的でねばり強(qiáng)いプロセスであり、その中ではいくつかの重要な過程を生き抜く必要がある。そのうち、「一つの山に二頭の虎がいることは許せない」という「ゼロ?サム」観念を捨て去り、「ウィン?ウィン」の戦略的心理狀態(tài)と現(xiàn)実的な條件を形成することが、とりわけ肝心なプロセスである。 アメリカとの関係を適切に処理し、それを調(diào)整することは、東アジアがスムーズに共同體に向かう重要な前提である。そのカギとして、一、日米関係が主と従の関係から対等の関係に平穏に移行することができるかどうかということで、二、中米関係が戦略調(diào)整の段階に順調(diào)に通り過ぎることができるかどうかということである。日本の一部の?戦略家?は、ランドパワー勢力とシーパワーの間および中米両國の間において、日本は必ずその一方と同盟を結(jié)び、それによって他の一方を防がなければならないという?ゼロ?サム?ゲーム?の対策を興味深げに語っている。こうした思考方法は中日両國が戦略的和解に向かう最終的な障害になるであろう。もしも日本がこの袋小路を最後まで歩いていくなら、最終的にはみずからが自主外交確立の最良の時機(jī)に逸し、21世紀(jì)の大國関係調(diào)整のプロセスのそとに排除されることになろう。 21世紀(jì)を展望するならば、中日関係は數(shù)多くの歴史的チャンスと挑戦に直面している。中日両國は良好なチャンスをつかみ、厳しい挑戦を迎えうち、21世紀(jì)の中日関係をともに推し進(jìn)め、それをよりよい前途へと健全に発展させるべきである。 (筆者の金熙徳博士は中國社會科學(xué)院日本研究所研究員) 「チャイナネット」 2002年5月27日
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