中國共産黨第7期中央委員會第2回全體會議
1949年3月5~13日、中國共産黨中央は河北省平山県西柏坡村で中國共産黨第7期中央委員會第2回全體會議(第7期二中全會)を開催した。遼瀋、平津、淮海の3大戦役で偉大な勝利を獲得し、國民黨軍の主力がせん滅され、中國人民解放戦爭が全國的な勝利を獲得する直前に開催された。中央委員34人、中央委員候補(bǔ)19人が出席し、11人が列席した。
全體會議は毛沢東の報告を聞き取って議論し、1945年6月の第7期中央委員會第1回全體會議以降の中央政治局の仕事を承認(rèn)し、新しい政治協(xié)商會議の開催と民主連合政府の設(shè)立に関する中國共産黨の提案を承認(rèn)し、8項(xiàng)目の條件を南京政府との和平交渉実施の基礎(chǔ)とする毛沢東の聲明を承認(rèn)した。全體會議は毛沢東の報告に基づき、革命の全國的な勝利を促進(jìn)する方針、その勝利を手配する方針を制定し、革命勝利後の新民主主義建設(shè)の青寫真を確定した。また、全國的な勝利の後、政治、経済、外交分野で黨が取るべき基本政策、中國を農(nóng)業(yè)國から工業(yè)國に、新民主主義社會から社會主義社會に転換する全體的任務(wù)と主な道筋を規(guī)定した。さらに、農(nóng)村から都市へと黨の事業(yè)の重心の戦略的転換を?qū)g行する問題を検討した。この全體會議は次のように指摘した。革命が全國で勝利し、土地問題を解決した後、中國にはなおも2種類の基本的な矛盾が存在する。國內(nèi)では労働者階級とブルジョアジーの矛盾、國外では中國と帝國主義國家の矛盾だ。
全體會議はこのほか、黨の思想建設(shè)を強(qiáng)化し、ブルジョア思想が黨の隊(duì)伍を侵食するのを防がなければならないと特に強(qiáng)調(diào)した。また、革命の勝利後、謙虛で慎み深く、おごり高ぶらず焦らない気風(fēng)を必ず引き続き保ち、刻苦奮闘する気風(fēng)を必ず引き続き保たなければならないと全黨に注意を與えた。
第7期二中全會は中國革命の転換點(diǎn)に開かれた深遠(yuǎn)な歴史的意義を持つ會議だ。ここで作られた各項(xiàng)目の政策規(guī)定は、全國における中國革命の勝利への対応のみならず、新中國の建設(shè)事業(yè)にも極めて大きな指導(dǎo)的役割を果たした。
中共七屆二中全會
1949年3月5日至13日,中共中央在河北省平山縣西柏坡村召開了中國共產(chǎn)黨第七屆中央委員會第二次全體會議。全會是在遼沈、平津、淮海三大戰(zhàn)役取得偉大勝利,國民黨軍隊(duì)主力被殲滅,中國人民解放戰(zhàn)爭即將取得全國勝利前夕召開的。出席全會的有中央委員34人,候補(bǔ)中央委員19人,列席會議11人。
全會聽取并討論了毛澤東的報告,批準(zhǔn)了1945年6月七屆一中全會以來中央政治局的工作,批準(zhǔn)了由中國共產(chǎn)黨發(fā)起的關(guān)于召開新的政治協(xié)商會議及成立民主聯(lián)合政府的建議,批準(zhǔn)了毛澤東關(guān)于以八項(xiàng)條件作為與南京政府進(jìn)行和平談判基礎(chǔ)的聲明。全會根據(jù)毛澤東的報告,制定了促進(jìn)革命取得全國勝利和組織這個勝利的方針,確定了革命勝利后新民主主義建設(shè)的藍(lán)圖;規(guī)定了全國勝利后,黨在政治、經(jīng)濟(jì)、外交方面應(yīng)當(dāng)采取的基本政策,以及使中國由農(nóng)業(yè)國轉(zhuǎn)變?yōu)楣I(yè)國、由新民主主義社會轉(zhuǎn)變到社會主義社會的總的任務(wù)和主要途徑;討論了黨的工作重心由鄉(xiāng)村向城市實(shí)行戰(zhàn)略轉(zhuǎn)移的問題。這次全會指出,革命在全國勝利并解決了土地問題以后,中國還存在著兩種基本矛盾,國內(nèi)是工人階級和資產(chǎn)階級的矛盾,國外是中國和帝國主義國家的矛盾。
這次全會還特別強(qiáng)調(diào)應(yīng)加強(qiáng)黨的思想建設(shè),防止資產(chǎn)階級思想侵蝕黨的隊(duì)伍,提醒全黨在革命勝利后務(wù)必繼續(xù)保持謙虛、謹(jǐn)慎、不驕、不躁的作風(fēng),務(wù)必繼續(xù)保持艱苦奮斗的作風(fēng)。
中共七屆二中全會是在中國革命轉(zhuǎn)折關(guān)頭召開的一次具有深遠(yuǎn)歷史意義的會議,它所作出的各項(xiàng)政策規(guī)定,不僅對迎接中國革命在全國的勝利,而且對新中國的建設(shè)事業(yè),都具有巨大的指導(dǎo)作用。