チベットの平和的解放
チベットは中國の領土の分割できない一部分だ。1949年末、中國人民解放軍は西南地區を解放した後、チベットへの進軍を準備し始めた。中央人民政府はチベット地區の具體的な狀況を考慮し、北京に代表を派遣してチベットの平和的解放について話し合うよう舊チベット地方政府に繰り返し通知した。チベット上層の反動分子と帝國主義勢力の妨害により、舊チベット地方政府は遅々として代表を派遣せず、チャムド(昌都)地區にチベット軍の主力を配置した。
1950年10月、人民解放軍はチャムド戦役を始め、チャムドを解放し、チベットに進む要路を開き、チベット上層の支配集団は急速に分裂し、チベットの平和的解放は大勢の赴くところとなった。
1951年4月、舊チベット地方政府はアポ?アワン?ジグメを首席代表に任命し、彼は北京で李維漢を首席代表とする中央人民政府代表団と交渉した。同時に、パンチェン?ラマ10世とそのケンポ庁の全役人も北京に行き、平和に対する願望と要請を表明した。雙方の代表は懇ろに會談し、意見を交換し、平等に協議し、多くの原則問題について速やかに合意に達し、5月23日に「チベットの平和的解放の方法に関する中央人民政府とチベット地方政府の協定」を正式に締結した。5月24日、毛沢東は中南海懐仁堂で、和平交渉に參加したチベット代表団に接見し、盛大な宴會を開き、和平交渉の成功を祝った。
チベットの平和的解放は、中國大陸が統一を成し遂げ、チベットの人々が帝國主義による侵略と分裂から抜け出し、ここから団結、進歩、発展の輝かしい道を歩むことを示した。これはチベット民族史と中國民族関係史で重大な意義を持っている。
西藏和平解放
西藏是中國領土不可分割的一部分。1949年末,中國人民解放軍在解放西南地區之后,開始準備向西藏進軍。考慮到西藏地區的具體情況,中央人民政府多次通知原西藏地方政府派代表來北京商談關于和平解放西藏的事宜。因西藏上層反動分子和帝國主義勢力的阻撓,原西藏地方政府遲遲不派出代表,并在昌都地區部署藏軍主力。
1950年10月,人民解放軍發動昌都戰役,解放昌都,打開了進藏的咽喉要道,西藏的上層統治集團迅速分化,和平解放西藏為大勢所趨。
1951年4月,原西藏地方政府任命阿沛·阿旺晉美為首席代表,到北京與李維漢為首席代表的中央人民政府代表團進行談判。同時,班禪及其堪布廳的全體官員也到達北京,表達其和平的愿望與要求。雙方代表親切會談,交換意見,平等協商,很快就許多原則問題達成協議,于5月23日正式簽訂了《中央人民政府和西藏政府關于和平解放西藏辦法的協議》。5月24日,毛澤東在中南海懷仁堂接見參加和平談判的西藏代表團并舉行盛大宴會,祝賀和談成功。
西藏的和平解放,標志著中國大陸獲得統一,西藏人民擺脫了帝國主義的侵略和分裂,從此走上了團結、進步、發展的光明大道。西藏的和平解放,在西藏民族歷史上和中國民族關系史上具有重大意義。