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教育者?劉育新氏 一家三代にわたる中日の絆
発信時間: 2008-03-11 | チャイナネット

教育者?劉育新氏を偲んで、吉林人民出版社が『劉育新記念文集』を出版する。この文集は、劉育新氏の教育事業への貢獻と同氏の高尚な人柄を讃えるとともに、一家三代にわたる中日の絆にも言及している。

神戸學院大學校長倉田氏(左三)と會見する劉育新氏(左四)




劉育新氏は1915年、黒龍江省ハルビン市に生まれ、1936年、ハルビン留日學生教育所でずば抜けた成績を収め奨學金を獲得、日本の早稲田大學で政治経済を専攻した。彼は同大學入學後、苦労しつつ研さんを積み、競爭率の高い文化奨學金を獲得した。1946年以降は中國で教べんをとるとともに中國共産黨が指導する地下革命闘爭に參加。解放後は、吉林省立高級中學校校長、長春市教育局局長、吉林大學外國語學部主任、吉林省人民政府教育顧問などを歴任するとともに、長春市人民代表大會代表に何度も選ばれた。日本留學によって得たものを教育事業に生かした彼の教育理念は、社會から高く評価され、吉林省の各界から高潔な人格と高い名聲を認められた教育者であった。

劉育新氏は日本への留學経験があったため、文革中はつらい目にあったが、同氏はかえって中日友好にこだわり続け、中日関係の將來に自信を持っていた。彼は、中日関係の正?;驻筏い长趣扦悉胜い长趣颏蓼工蓼箯姢肖浮⒅腥臻gの長期的友好のためには子々孫々にわたってバトンタッチしていく必要があると考え、常に後に続く世代が中日友好のために橋渡しの役割を発揮できるよう勵ましてきた。

中日関係が正?;丹欷肭挨?964年、早くも彼は次男の劉光宇氏が北京大學東語學部の日本語専攻課程を受験するよう勵ました。劉光宇氏は北京大學卒業後、吉林省外事弁公室や吉林大學日本研究所、東北師範大學外國語學部で中日交流と日本文學の研究および日本語教育に攜わるとともに、日本映畫『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』を翻訳し、日本の著名な映畫を中國の銀幕の上に持ち込んだ。さらに、1987年および1996年には、それぞれ客員研究員と客員教授の肩書きで関西學院大學において日本近現代文學研究に従事し、數多くの日本の文學作品を翻訳し、現在は中國作家協會の會員となっている。

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