──97年中日詩吟の會に參加した故?謝晉監督を偲んで
于 強
1995年に安徽省馬鞍山市から上海へ転任になったあと、私はほぼ毎年、上海中日詩吟の會を上海で開くのを企畫してきた。97年の詩吟の會で、私たちは著名な映畫監督である謝晉氏に參加を要請した。同監督が參加できるかどうか、何もあてもないままの要請だった。
詩吟の會に參加する謝晉氏と作者
11月2日午後、上海豫園のキンモクセイは満開となり、その甘い香りが馥郁と漂っていた。日本の東京、大阪、京都、名古屋、群馬、山形、大分などの各地から100人近い詩吟愛好者らと上海の詩吟愛好者ら、合わせて數百人が上海豫園の古い舞臺で「97上海中日詩吟の會」を開催した。ちょうど會の幕が上がろうというとき、謝晉監督が顧問の胡暁秋氏に付き添われて颯爽と會場に姿を見せた。人々はみな彼に目を向けると、ことのほか喜び、「謝監督、こんにちは!」と親しげに叫ぶ者もいれば、前に進み出て握手する者もいる。彼は皆に笑顔でうなずき、手を振って挨拶する。日本の上海駐在総領事館の橋本逸男総領事はかねてから謝晉監督の名を聞いていて、彼を見ると意外な様子で嬉しそうに前へ出て彼と握手し、挨拶した。數名の日本詩吟団の団長らは謝晉監督の姿を見ると喜びを露にしつつも粛然として敬意を表した。誰もがみな、彼が世間にその名を轟かす大監督であることを知っていたからだ。謝晉監督は日本で非常に評判が高く、多くの映畫ファンを持っていた。
「私は古い詩詞が大好き」と言う謝晉(右1)監督
詩吟の會が始まり、司會者が「有名な謝晉監督も私たちの詩吟の會にお越しいただいています」と紹介すると、すぐさま會場には熱烈な拍手が巻き起こり、多くの參會者は彼に尊敬の眼差しを向け、日本の詩吟愛好者らはカメラを彼に向けて撮り始めた。