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中日共同研究:南京大虐殺などは歴史的事実
発信時(shí)間: 2009-08-20 | チャイナネット

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英字紙「チャイナデイリー」が20日伝えたところによると、中日政府が共同で組織した中日共同歴史研究委員會(huì)が3年間にわたる努力を経て、來(lái)月にも中日古代?近代史研究報(bào)告を発表、日本の中國(guó)侵略および南京大虐殺などは歴史的事実に帰屬すると報(bào)告される。中國(guó)日本史學(xué)會(huì)の湯重南?會(huì)長(zhǎng)が19日、中國(guó)社會(huì)科學(xué)院が発表した「日本発展報(bào)告」を通じて明らかにした。

「日本の學(xué)者は日本が南京で罪のない市民を虐殺したことを認(rèn)めている。また七七事変(盧溝橋事件)、九一八事変(満州事変)を含む中國(guó)侵略の歴史も認(rèn)めている。これらの事情的見(jiàn)解について我々は既に問(wèn)題にしていない」と湯會(huì)長(zhǎng)は語(yǔ)る。

しかし湯會(huì)長(zhǎng)によると、現(xiàn)在でも中國(guó)と日本の間では南京大虐殺の死者數(shù)およびその他一連の詳細(xì)について依然論議が続いている。

中國(guó)側(cè)は、1937年の南京大虐殺で30萬(wàn)人の中國(guó)人が犠牲になったとしている。極東軍事裁判の審判での推計(jì)では26萬(wàn)人前後。しかし日本全國(guó)で発行されている歴史教科書(shū)數(shù)十冊(cè)は南京大虐殺の死者數(shù)について見(jiàn)解が分かれており、一部の差は極めて大きく、また一部右翼學(xué)者は教科書(shū)中の中國(guó)侵略の歴史を否定している。

この過(guò)去數(shù)十年間にわたって繰り広げられてきた論爭(zhēng)により、中日関係に深刻な被害がもたらされ、また中國(guó)國(guó)民の激しい憤りが沸き起こっていた。2006年、中日両國(guó)首脳は協(xié)議を締結(jié)、共同歴史研究プロジェクトを始動(dòng)することで、両國(guó)でこれまで止むことのなかったこの論爭(zhēng)から抜け出すことができる期待が生まれた。

湯會(huì)長(zhǎng)は記者に対し、この政治的に極めて敏感な研究の中で、日本側(cè)が派遣したのは右翼ではない主流學(xué)者であるにもかかわらず、日本の中國(guó)侵略が事実に屬するかについて依然論爭(zhēng)が存在すると語(yǔ)っている。

「我々は我々の立場(chǎng)を堅(jiān)持するだけだ」湯會(huì)長(zhǎng)は述べる。

中日両國(guó)は當(dāng)初、2008年に初歩的な研究結(jié)果を発表する計(jì)畫(huà)だったが、これについては雙方が一部の問(wèn)題において合意に至らず頓挫した。

湯會(huì)長(zhǎng)は、日本政府は首相から外相に至るまでこの研究に非常に関心を抱いており、一方中國(guó)では溫家寶総理自らが中國(guó)側(cè)參加研究學(xué)者リストを確認(rèn)していると語(yǔ)る。

中日共同歴史研究委員會(huì)の全中國(guó)側(cè)委員は來(lái)月1日から5日の日程で日本を訪問(wèn)する予定となっている。全委員はこのほど記者會(huì)見(jiàn)を行い、16章、60萬(wàn)字以上にわたる研究成果を発表した。日本訪問(wèn)中、彼らは日本側(cè)委員と共に再び研究成果を発表する。

湯會(huì)長(zhǎng)によると、研究報(bào)告の中ではさらに、中國(guó)古代文化の日本に対する影響などその他の突破口もみられた。殘った紛爭(zhēng)は今後開(kāi)始される研究第2ステップで解決が図られる。

中國(guó)國(guó)際問(wèn)題研究所特約研究員の王泰平氏は「チャイナデイリー」に対し、これらの日本の専門(mén)家は國(guó)家を代表しており、個(gè)人で研究を行っているわけではないため、今回の研究結(jié)果は日本に対し歴史的態(tài)度に影響を與えるものだと述べている。

王氏によると、今回の研究は日本各地の自治體に対し、歴史教科書(shū)を誠(chéng)実に選定するよう促す効果が見(jiàn)込まれる。もっとも元駐日中國(guó)大使館外交官だった王氏は同時(shí)に、日本はこれまで侵略戦爭(zhēng)を希薄化する教科書(shū)の影響を長(zhǎng)年にわたって受けているため、日本國(guó)民が一夜にしてその見(jiàn)解を変えると期待するのは非現(xiàn)実的であると指摘している。(編集HT)

「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2009年8月20日

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