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中日友好は青少年から始まる
発信時間: 2009-10-26 | チャイナネット

「夢は中國に」と名づけられた日本?岐阜県の中高生訪中団が先日、北京を訪問した。1週間の日程で故宮や萬里の長城を見學(xué)し、週末には2日間のホームステイも経験。わが家にも、高校1年生の高島優(yōu)季さんがやって來た。

禮儀正しく、真面目で勉強(qiáng)好きな優(yōu)季さんは、わたしの娘と同い年。2人は最初こそ少し恥ずかしそうにしていたが、すぐに仲良し姉妹となった。彼女らは一緒に観光や買物やスケートに行き、ピアノを弾いた。簡単な英語や筆談でコミュニケーションし、小さなカードは「巖井俊二」「宮崎駿」「後海」などの漢字や、ハリー?ポッターなどの英単語で埋め盡くされた。彼女らの間には歴史の足枷もなく、民族や言葉の壁をやすやすと乗り越え、音楽や映畫や漢字の中に共通言語を見出した。2人は仲良くおしゃべりし、明るい笑い聲が絶えなかった。優(yōu)季さんはわが家を去る前に、感謝の手紙1通と折り鶴2羽をくれた。手紙には漢字で「私は中國料理が大好き、中國が大好き」と書かれていた。2人の女の子は、これからもいつも連絡(luò)を取り合うことを約束した。この短い2日間は、彼女らにすばらしい思い出を殘した。

青少年期に結(jié)ばれた友情は、その人の一生に影響を與える。1990年代に日本に留學(xué)したわたしは、家族や故郷から遠(yuǎn)く離れ、異國で勉強(qiáng)し、アルバイトする中、內(nèi)心では孤獨(dú)感や寂しさを禁じ得なかった。だが周囲の日本の友人、先生や「日本のお母さん」の善良さや友愛が、異國での暮らしに溫もりをくれた。わたしは彼らと觸れ合う中で、一般の日本人が中國の歴史や伝統(tǒng)文化を愛し、中日友好を待望していることを感じ取った。留學(xué)時代のこうした溫かい思い出は、常にわたしと共にある。

中日は歴史的には戦爭を経験し、現(xiàn)実的にも様々な溝があるが、平和を愛する両國民の気持ちは同じだ。國民間の交流は、中日関係を発展させ、相互認(rèn)識を深める最良の道だ。民間交流が盛んで、両國民間の感情が急速に溫まった1980年代は、中日関係の「蜜月期」と呼ばれた。1984年秋には、日本から青年3000人が訪中し、天安門で新中國建國35周年記念式典を見學(xué)したり、中國の青少年と親睦花火大會を開いたりした。現(xiàn)在中日友好事業(yè)に活躍する日本人には、當(dāng)時の訪中団のメンバーが少なからず含まれる。彼らは「あの時中國や中國人と身近に觸れたことで、初めて中國を理解し、中國を好きになり、中日友好に盡力する決心がついた」と言う。

1998年に中日両國は「青少年交流の一層の発展のための中日間の枠組みに関する?yún)f(xié)力計畫」に調(diào)印。2008年には「中日青少年友好交流年」として、文化?環(huán)境保護(hù)?科學(xué)技術(shù)分野で様々な青少年交流活動が行われた。中日両國間の留學(xué)生數(shù)も過去最高を記録し続けている。日本で學(xué)ぶ中國人留學(xué)生はすでに7萬人を超え、外國人留學(xué)生全體の3分の2を占めている。中國で學(xué)ぶ日本人留學(xué)生は1萬6000人で、外國人留學(xué)生全體で2番目に多い。毎年多くの日本の青少年が、観光や交流で中國を訪れている。今年日本政府は、日本への個人旅行を條件つきで中國人に開放した。自分の目で日本を見、日本を理解する機(jī)會のある中國の若者がどんどん増えている。

友好は青少年から始まる。中日の青少年はまさに、中日関係発展と中日友好の主力に成長しているのだ。

「人民網(wǎng)日本語版」2009年10月26日

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