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徐福と吉野ヶ里とチャン文化
発信時間: 2009-11-19 | チャイナネット
チャン人、秦人は中華の源の一つ
 

2008年の「5?12」大地震で、被害を被る前の四川省理県の桃坪チャン族村(寫真?劉世昭)

 

唐代の詩人王之渙(688~742年)は、「羌笛何須怨楊柳、春風(fēng)不度玉門関」(羌笛何ぞ須ゐん楊柳を怨むを、春風(fēng)渡らず玉門関)と詠んでいる。本文で言う羌(チャン)人は、まさに羌笛を吹く人の先祖である。もちろん、2008年、大地震に襲われた阿壩チベット族チャン族自治州のチャン人の先祖でもある。

チャン族は、歴史の極めて長い山地民族であり、紛れもなく華夏族すなわち中華民族の重要な源のひとつであろう。『説文解字』の解釈では、「羌は、西戎の牧羊人で、人と羊からなる」とあり、羌の字は人と羊の組み合わせと説く。

チャン族は、長く移動する間に、2大系統(tǒng)に分かれた。1系統(tǒng)は東へ向かい、東部の先住民と融合し、漢民族文化を開く先駆けとなった。『帝王世紀(jì)』には「伏蒙は成紀(jì)に生まれる」とある。「伏蒙」は三皇(中國最古の三人の皇帝。ほかの2人は神農(nóng)と黃帝)の1人目で、「成紀(jì)」は今日の甘粛省南部天水地區(qū)、古くは「方羌の地」とされる。

『史記?補(bǔ)三皇本紀(jì)』では、炎帝は「姜水で育つ」という。姜水は甘粛省定西市渭源県の方渭河、その支流の歧水で、今日では渭河という。渭河の源はすなわちチャン人の本拠地である。『國語?晉語四』の解釈では、「昔少典は有嬌氏を娶り、黃帝と炎帝を生んだ。黃帝は姫水で育ち、炎帝は姜水で育つ。育った場所を異にするため、黃帝を姫、炎帝を姜と呼ぶ」。つまり、黃帝と炎帝は兄弟で(一説には異母兄弟)、2人とも間違いなくチャン族部落の人である。これは、なぜ古字の「羌」と「姜」が同じ文字であるかを説明している。ここから今日我々がいう炎黃子孫は、実はチャン人の末裔であると分かる。

『史記?六國年表』には「禹は西羌に興る」とあり、また『孟子?離婁下』には「文王は歧周に生まれ、畢郢で沒す、西夷の人である」とある。西夷は間違いなく西羌のことである。そこで歴史學(xué)者の翦伯賛氏は「炎帝の姓は姜……西戎チャン族の一系統(tǒng)で、西から遊牧して先に中部に入る」という。彼は秦人の源を論証して、秦は東遷したチャン人と中原の人の末裔であると説く。「秦の祖先は戎である」という言い方もここから來ている。

 

イ族?ダイ族?ハニ族などもチャン族の末裔

來年の五穀豊穣と気候の安穏を祈る雲(yún)南省彌勒県紅萬村のイ族のたいまつ祭り(寫真?劉世昭)

 

チャン族のもう1系統(tǒng)は、西南へ移動した。今日の中國西南部のイ族(彜族)、ダイ族(傣族)、ぺー族(白族)、ハニ族(哈尼族)などは、歴史の記載と風(fēng)習(xí)からみて、チャン族の末裔であろう。

イ族は「羅羅」と自稱するが、『山海経?海外北経』に「羅羅」の記載がある。『漢書?地理志?張掖郡?番和』ではチャン人を「羅虜」と呼び、『大明一統(tǒng)志』では四川省のイ族を「羅蠻」、雲(yún)南省西部のイ族を「羅羅」と呼ぶ。『華陽國志』も『後出師表』も雲(yún)南省、四川省、貴州省のイ族を「青羌」と呼ぶ。『蠻書』ではイ族の先祖は「羌虜」であるとさらにはっきりと指摘している。典籍を調(diào)べれば、「羌戎」と「羅羅」は実際には同一であることが分かる。

風(fēng)習(xí)から見れば、イ族の火葬やたいまつ祭り、儺の仮面や儺祭りで踴る大鑼笙舞やヒョウの舞、トラの舞、ぺー族の多神教の習(xí)俗、萬物に霊魂があるという信仰など、すべて古代チャン人の習(xí)俗と一脈通じる。今日まで伝えられている『哈尼阿培聡坡坡』という古い歌曲は、祖先の引越しの歌である。遡って追跡すれば、茶馬古道は実は古代チャン人の西遷の神秘な道であると思っている。

とくに指摘しておきたいのは、最近大騒ぎになったイ族が発明したといわれる『十月太陽暦』は、実は古代チャン人の聡明な知恵の産物であり、秦の時代に実施された『十月太陽暦』の源はここにあると考えている。

 

倭人の源流とチャン人

雲(yún)南楚雄雙柏県雨竜郷の羅婺人の「大鑼笙祭り」(寫真?楊振生)

 

1979年、大阪教育大學(xué)の鳥越憲三郎教授が、日本人の源流は中國の雲(yún)南であると発表した。考察と研究によると、雲(yún)南のイ族とダイ族の赤ちゃんの蒙古斑は、日本人の赤ちゃんとまったく同じである。つまりこれが日本人の源流の証拠であり、雲(yún)南が日本人の源流であることを?qū)g証するものだという。彼は同時に信仰や風(fēng)俗などの面から、イ族、ダイ族と日本を比較することによって、自分の見方が正しいとしている。その後、また別の日本の學(xué)者も「倭人(日本人)の源流は雲(yún)南」という見方を発表している。

わたしの個人的な考えでは、中國の倭人は古代チャン人と中國西南地域の先住民との末裔であると思っている。チャン人の優(yōu)秀な文化を受け継ぎ、発展させた。日本民族の源流が雲(yún)南であるかどうかは、わたしは研究したことがないので、勝手な結(jié)論を下せない。ただ、チャン文化は東方の民族に無視できない貢獻(xiàn)をしたのは確かだと思う。文化の共通性は、各民族がたえず文化を融合させることによって、歴史を動かし文明社會に向かって発展してきたのである。この點から見れば、中華文化だけではなく、日本文化にもチャン人の知恵が浸透していったと考えている。

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