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中日共同歴史研究、中國(guó)侵略を日本が明確に承認(rèn) |
発信時(shí)間: 2009-12-30 | チャイナネット |
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中日共同歴史研究第1ステップ最終會(huì)議がこのほど東京で行われた。中日雙方の委員會(huì)は共同宣言を発表、第1ステップの共同研究は既に終了し、雙方は今後、関連論文を発表するとした。日本から帰國(guó)したばかりの中國(guó)側(cè)委員會(huì)の代表6人が26日、北京でメディア座談會(huì)を開(kāi)催した。 中國(guó)側(cè)主席委員を務(wù)める中國(guó)社會(huì)科學(xué)院近代史研究所の歩平?所長(zhǎng)によると、日本側(cè)學(xué)者は研究成果の中で、日本の軍國(guó)主義による中國(guó)に対する侵略が中國(guó)人民に甚大な傷害をもたらしたことを明確に承認(rèn)し、戦爭(zhēng)中に舊日本軍のさまざまな不法行為で多くの中國(guó)の一般市民が犠牲になり、戦爭(zhēng)の深い傷跡が、戦後新たな中日関係を構(gòu)築する上で障害となったことを認(rèn)めたとした。研究報(bào)告は來(lái)月にも発表される。 歩所長(zhǎng)は、中日雙方の研究員は16の共同テーマを定め、テーマ毎にキーワードを10語(yǔ)前後確定したと述べた。同一テーマについて執(zhí)筆を行う両國(guó)作者は何度も面談を?qū)g施、度重なる意見(jiàn)交換を行い、相手方に対して論評(píng)と質(zhì)疑を行った。日本が中國(guó)に対して発動(dòng)した戦爭(zhēng)が侵略戦爭(zhēng)であったかについて議論が及んだ際、日本側(cè)學(xué)者は侵略の定義とはなにかというところから討論を開(kāi)始、中國(guó)側(cè)委員は歴史討論を言語(yǔ)學(xué)討論に転換させるべきではないとの認(rèn)識(shí)を示した。歩所長(zhǎng)はさらに、學(xué)術(shù)研究は政治的交渉ではなく理性的交流であり、雙方の學(xué)者は時(shí)には顔が紅潮するほどの論爭(zhēng)を展開(kāi)したこともあったが、依然として學(xué)術(shù)論爭(zhēng)であることには変わりはなく、いかなる観點(diǎn)も國(guó)家の観點(diǎn)を代表することはないと語(yǔ)った。 中國(guó)社會(huì)科學(xué)院米國(guó)研究所の陶文鞘E?研究員は、中日戦爭(zhēng)と太平洋戦爭(zhēng)の一部の報(bào)告執(zhí)筆に參與した。陶研究員は、両國(guó)學(xué)者の學(xué)術(shù)研究の上での共通認(rèn)識(shí)と意識(shí)のずれを総括するのは簡(jiǎn)単なことではないと感じたという。「我々にとって大きかったのは、重點(diǎn)が異なることだった。例えば太平洋戦爭(zhēng)について私が記した際、中國(guó)が一連の國(guó)際事件を通じていかに大國(guó)の地位を獲得していったかについてより関心を置いた。しかし日本の學(xué)者はこれらの資料を國(guó)內(nèi)で得ることはできず、このことに対する言及は極めて少なかった。一方で日本の學(xué)者は『大東亜會(huì)議』に関心を示したが、我々の観點(diǎn)からすればそれは虛言であり、多くを記す必要はないと感じた」。陶研究員は最後に、中國(guó)側(cè)委員は報(bào)復(fù)主義を念頭に歴史を研究しているのではなく、歴史の明確な認(rèn)識(shí)のために研究を行っている。歴史のページをひもとくことで、未來(lái)に向き合い、より良い中日関係の発展に貢獻(xiàn)したい、と語(yǔ)った。 「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2009年12月30日 |