「花岡事件」の犠牲者を記念して建てられた花岡平和記念館が17日、秋田県大館市に開館した。45年を経て日本政府はやっと1945年に発生した「花岡事件」を正視したことになる。日本側(cè)の代表で大館市の小畑元市長(zhǎng)は、この歴史の事実に次の世代に伝えなければならないと述べた。
花岡平和記念館は、「花岡事件」で亡くなった418人の労働者と、奴隷のようにこき使われで死んでいった中國(guó)の労働者を記念して建設(shè)されたものだ。
1945年6月30日夜、強(qiáng)制連行された700人の中國(guó)人労働者は、鹿島組(今の鹿島建設(shè)株式會(huì)社)の殘酷な虐待に耐えられず、現(xiàn)場(chǎng)監(jiān)督を殺害して中山寮近くの獅子ヶ森に逃げた。この蜂起は政府や民間を驚愕させ、出動(dòng)した2萬(wàn)人の警察が中國(guó)人労働者を捕らえて銃殺。翌日に生き殘った中國(guó)人労働者は全て捕虜になり、あわせて418人が日本で命を落とした。
大館市では1985年から「花岡事件」が発生した6月30日を「平和記念日」と決め、市役所で中國(guó)國(guó)旗を掲揚(yáng)し、亡くなった中國(guó)人労働者の慰霊式や様々な記念活動(dòng)を?qū)g施している。
花岡平和記念館の館名を書いたのは、在日本中國(guó)大使館の程永華大使。17日の開館式では薛剣參事官が「花岡平和記念館の建設(shè)は、『花岡事件』で殺害された中國(guó)人労働者や家族、支援してきた人の長(zhǎng)年の願(yuàn)いであり、中日雙方の今までの努力の末についに実現(xiàn)した。この記念館は、ある一定の度合いで亡くなった中國(guó)人労働者の魂を癒し、この記念館を通してさらに今後の活動(dòng)がより正義を増し、侵略を反省し、両國(guó)民の友好が盛んになると信じている」とあいさつした。
小畑元市長(zhǎng)は、「花岡事件」での日本の非人道的な行為は絶対に許すことはできないし、これから日本はこのような過ちを二度と繰り返してはならず、若い世代に過去の事実を伝えなければならないと話し、日本で永眠した中國(guó)人労働者たちが安らかに眠ることを祈り、日中両國(guó)が永遠(yuǎn)に平和で友好的であることを願(yuàn)った。
この記念館には、當(dāng)時(shí)、強(qiáng)制連行された中國(guó)人労働者たちが受けた殘酷で非人道的な待遇を記録した詳細(xì)な資料や絵が展示されている。
開館式には中國(guó)大使館の薛剣參事官、「花岡事件」で幸いに生き殘った李鉄垂さん、3人の遺族、社民黨黨首の福島瑞穂消費(fèi)者?少子化擔(dān)當(dāng)相、佐竹敬久?秋田県知事、小畑元?大館市長(zhǎng)など約100人が參加した。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版」(チャイナネット) 2010年4月19日