湖北省宜昌市夷陵區黃花郷南辺村の宜巴(宜昌?巴東)高速道路建設現場でこのほど、多くの遺骨が見つかった?,F地の歴史専門家による検証から、これらの遺骨は、抗日戦爭時の國民黨第75軍第4予備師団の兵士たちのものと判明した。宜昌市は、今回遺骨で発見された烈士3千人の記念碑を再建する計畫という。
遺骨が発見された現場は、抗日戦爭期、野戦病院だった。前線で戦った兵士が負傷すると、この野戦病院に運ばれた。
南辺村三組に住む易仁信氏(87歳)は、村の長老のひとり。目が良く見ず、耳も遠いが、記者が抗日戦爭當時の狀況について尋ねると、老人の話は途切れることなく続いた。易老人によると、戦いの様子は凄まじく、毎日多くの負傷兵がこの野戦病院に運ばれてきたという。
1990年代、第4予備師団の傅正模師長の息子が南辺村を訪れ、現地の烈士記念碑と陵墓の修復に充ててほしいと2萬元を寄付した。しかし、それらの破壊はかなり進んでいたため、多額にのぼる修復費の捻出が難しく、その話はたち消えとなった。
現地では現在、兵士の遺骨、関連資料、物品などの収集作業が急ピッチで進んでいる。一方、宜昌市は、烈士3千人の記念碑を再建することを計畫している。
宜昌市委員會の郭有明書記は2日、「抗日戦爭時の兵士3千人の遺骨が同市で発見された。これらは、中國人が命を賭けて日本軍に抵抗した歴史の貴重な証拠だ」とコメントした。また、この抗日戦爭史上の一大事を重視し、適切な遺骨の安置方案を速やかに定めて実行するよう、関連部門に求めた。
「人民網日本語版」2010年9月6日