3月11日、マグニチュード(M)8.8の地震が日本の東北沖で発生したというニュースが流れた。たまたまテレビを観ていた私は「また地震か」と思っただけだった。その後、中國の友人から立て続けに何本か電話が入り、「日本で地震があったが、ご家族は大丈夫か?」と心配そうに訊ねてきた。「大丈夫ですよ」と答えつつ、四川大地震があったから中國の人も地震に敏感になっているのかな、という程度にしか考えなかった。
翌日は朝からテレビでも、ニュースサイトでも、日本の地震と津波のニュースのことばかりだった。この時、初めて映像を目にした私は、自分の目を疑った。大きな津波が街を飲み込んだ。その後、街はすっかり変わり果ててしまった。それは、『日本沈沒』という映畫で観たシーンそのものだった。あんなことが現実に起ころうとは。その日、マグニチュードは9.0に修正され、中國のテレビ局は特別番組を組み、朝から晩まで地震と津波による被害狀況を伝えていた。そして顔見知りの中國人からひっきりなしに電話がかかってきた。
地震から3日目。仙臺の知人に電話がつながった。家の中は地震でめちゃくちゃになったが、市內はすでに電気も水道も通り、生活に支障はないとのことだった。駅も空港も被害に遭い、仙臺港沖に米軍空母が停泊し、そこから物資が輸送されてくるという。中國からの救援隊と救援物資も到著、こうした支援は本當にありがたい、と語っておられた。災害の後?一番気になるのは、被災者のメンタル面の問題だ。被災者が災害に負けず、復興に向けて頑張れる元気があるか。その知人は、地震の後、何十年も音信普通だった海外の友人からも電話があったと喜ばれておられた。電話1本の激勵の言葉が被災者の心を支える。世界中が見守っている。“頑張れ、日本!”
(作者は北京駐在日本人)
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年3月17日