辛亥革命100周年記念特別展「孫文と梅屋莊吉-100年前の中國と日本」が7月26日から9月4日まで、東京國立博物館で開催されている。人民日報が伝えた。
今回の特別展には、孫中山と梅屋莊吉の間で交流があった時期の寫真、遺品、資料が初めて展示された。その多くは、梅屋莊吉のひ孫にあたる小坂文乃さんが提供した。また、東京國立博物館や長崎大學(xué)附屬図書館に秘蔵されていた歴史的に貴重な寫真も展示され、展示品は合わせて約250點にのぼる。
「知られざる辛亥革命の志士」との異名を取る梅屋莊吉は、若い頃に香港で寫真館を開いた。1895年、孫中山の恩師であるジェームズ?カントリー醫(yī)師が寫真館の常連客であったことから、梅屋と孫中山は知り合った。
2人が出會った時、孫中山は29歳、梅屋は27歳だった。初対面でたちまち意気投合し、まるで舊知の間柄のようになった。孫中山の抱く理想を?qū)g現(xiàn)させるため、梅屋はどんなことをしても彼を援助することに決め、「君は兵を挙けよ、我は財をもって支援す」との盟約を結(jié)んだ。梅屋の資金援助のもと、孫中山は広州蜂起を起こした。
武裝蜂起が失敗に終わると、孫中山は梅屋とジェームズ醫(yī)師に勧められ、日本に渡り、日本を革命運動の基地とした。梅屋は孫中山と結(jié)んだ盟約を忠実に守り、孫中山が指揮する革命運動に対して武器援助と経済援助を続けた。
梅屋夫妻は、孫中山と宋慶齢の仲人でもある。2人は1915年、東京で結(jié)婚した。その時に、梅屋と孫中山は義兄弟の杯を、梅屋夫人と宋慶齢は義姉妹の杯を、それぞれ取り交わした。
「人民網(wǎng)日本語版」2011年7月26日