1945年8月15日、昭和天皇の「玉音放送」で日本國民は初めて天皇の「肉聲」を聞き、日本は無條件降伏を宣言した。それから66年が過ぎたが、日本民族の拭われない戦爭の悲しみは毎年8月に満ち、様々な形で引き継がれている。毎年8月は日本の「戦爭月」と呼ばれる。日本新華僑報が伝えた。
◇日本だけが核兵器の恐ろしさをその身で體験
今年の8月6日、記者は広島の平和記念公園で年に一度行われる「広島市原爆死沒者慰霊式並びに平和祈念式」に參加した。
早朝5時半、夏の日差しがまだ照り付けないうちから「慰霊碑」の前は追悼者が捧げた花束ですでに埋まり、線香の煙が立ち昇っていた。印象的だったのは、車椅子に乗った高齢者がすでに歩くことも出來ないのにまだこの日にこの場所に訪れていることだ。その心の傷跡、身體の傷跡が伺える。
日本人が原爆の被害者であることは否定できない。すでに核兵器はとっくに原子爆弾のレベルではないが、世界で核兵器の恐ろしさをその身で體験したのは日本人だけだ。だからこそこうして毎年この日になると、首相から地方官僚、すでに歩けない高齢者から小學生の子どもまでここに訪れ哀悼の気持ちを表し、核兵器廃絶を目指した世界平和を訴える。被害者の訴えはしばしば世界平和を求める民衆の同情や支持を呼び起こす。
◇舊日本軍の流れを受け継ぐ自衛隊