河北省昌黎生れ、瀋陽(yáng)育ちの王樹峰さん(1909年生れ)は、「9?18事変」(日本では満州事変と呼ばれる)の際、焼酒(蒸留酒の意)の蔵元で雑役として働いていた。100歳を超えた今も瀋陽(yáng)で暮らしている。
◇丁稚奉公時(shí)代の平和な日々
1925年、王樹峰さん(當(dāng)時(shí)16歳)は、河北省昌黎の故郷を離れ、瀋陽(yáng)市十里河鎮(zhèn)に住む親せきを頼って瀋陽(yáng)にやって來た。その後、瀋陽(yáng)市街地から30キロメートル離れたところにある焼酒の蔵元で雑役として働くことになった。
舊日本軍により瀋陽(yáng)が占領(lǐng)されるまで、焼酒の蔵元では、穏やかで平和な日々が続いていた。ある日突然、砲弾の音が鳴り響き、王樹峰さんを含むすべての中國(guó)人の日常の靜けさが破られた。
◇眠れぬ夜
1931年9月18日、夜更けのことであった。王樹峰さん(當(dāng)時(shí)22歳)は仕事場(chǎng)に散在する道具を同僚と一緒に片づけていた。睡魔と闘いながら、王樹峰さんは、早く自分の部屋に戻りたい一心で黙々と手を動(dòng)かしていた。
そうしていると突然、東の方から大きな音が轟いた。王樹峰さんは、眠気も吹っ飛ぶほど驚いた。
何だ?何が起こったのだ?大砲の音か?何でこんな遅くに砲音が聞こえるのだ?
同僚達(dá)は興奮した様子で口々に言うが、誰もはっきりしたことは分からなかった。同僚の一人が砲臺(tái)の上に登ってみたが、何も見えなかったという。
ようやく靜けさが戻り、1時(shí)間ほど過ぎた頃、また外が騒がしくなってきた。瀋陽(yáng)市街地と十里河を結(jié)ぶ道を、ぞろぞろと沢山の人が歩いている。ある人は荷物を擔(dān)ぎ、ある人は荷物を背中に負(fù)い、ある人は子どもの手を引いている。ロバや犬が鳴きながら歩く姿もあった。
この頃になってようやく情報(bào)が入って來た。舊日本軍が瀋陽(yáng)に侵攻し、北大営はすでに占領(lǐng)されたという。瀋陽(yáng)市民は瀋陽(yáng)を出て、ここ十里河を経過し、さらに大連へ逃れようとしているらしい。
王樹峰さんはその日、眠れない夜を過ごした。
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