3月12日、日本大震災の翌日、東京へ向かう飛行機の中で、中國人記者の多くが大久保洋子という名の姉御肌の女性を知ることとなった。その後數日間、彼女は中國人記者達のために通訳を雇ったり、車を手配したり、記者達の宮城県被災地における取材の全日程に友人の田嶋勇氏を同行させたりと忙しく動き回り、記者達を感動させた。
「これくらい當然のことよ。中日友好事業こそが私の仕事なんだから、どんなことでも力になりたいの。」先日、彼女は北京事務所で記者にこう語った。
◇ラーメン屋の北京姉さん
日本に移民して20年近くになる彼女は、元の名を呉洋といい、日本人と結婚して現在の大久保洋子という名を名乗るようになった。
日本に來て間もないころ、彼女は多くの日本人女性と同じように家庭で夫や子供をサポートする生活をしていた。しかし、もともとアクティブな性格の彼女は自分でいろんなことをしたり、友達を作ったりするのが好きだった。そこで、子どもが小學校に上がったのをきっかけに彼女はラーメン屋を開いた。
立川地區でのラーメン店開業は、90年代當時の中國人日本留學ブームの時期とも重なり、日本人客はもちろん、特に中國人客に対して友達のように接することで店は繁盛し、中國人達の間における彼女の知名度もますます大きくなっていった。
「友達を作るのが好きなの。それに、日本に來て間もない中國人はみんな慣れない土地で苦労していることがよく分かるから、何か頼み事をされたら、全部引き受けちゃうの。」そうして、ラーメン屋は次第に「中國人サービスセンター」と化していった。
彼女には北京出身者特有の溫かみがある。多くの中國人が彼女を「北京姉さん」と呼ぶ。
◇自らの手で民間交流を促進