山東省博山區北崮山村
60年以上前、戦爭が終わりを告げようとしていた時、日本人開拓団の孤児で、當時3歳だった橫山三郎さん(中國名?王毓福)は吉林省長白山の雪の中に遺棄され、死に瀕していた。それを王希順さんが自らの生活苦も顧みず、命を助けて育てた。
戦爭で世の中は亂れており、王さんはすべてを捨て、橫山さんを抱えて遠い故郷の山東省博山區北崮山村へ戻った。
帰郷後、王さんは橫山さんをわが子として育て、汗水流して稼いだお金で橫山さんを學校に行かせ、その後、結婚の際も新築の家を建ててやった。
橫山さんは努力して學校を卒業後、地元の山間部の小學校で教員になった。改革開放後、その仕事ぶりから都市部へ異動となり、國家幹部となって博山區政協委員連絡室主任、區政協委員を擔當、淄博市人大代表にも選出された。
橫山さんの仕事が軌道に乗る頃になると、父親もすでに年老い、晩年を安らかに過ごせるよう當初の誓い通り手厚く父親の面倒をみた。
80年代、橫山さんは偶然自らの身の上を知り驚いた。心の中で、どうしてずっと本當の事を教えてくれなかったのか父親に不満を抱いたが、落ち著いてみると、自分の淺はかな考えを恥じた。