文=コラムニスト?陳言
神戸女學院大學名譽教授の內田樹氏が2007年に出版した著書「下流志向」、販売好調で、?下流?は日本の社會で流行語の一つとなった。
日本人の「下流」に対する定義にもとづき、「3.11」から1年後の日本の政治や経済、社會を見直すと、恐らく日本の現狀を最も切実に反映しているのがこの言葉ではないだろうか。
「(學生は)學習から逃れ、(労働者は)仕事から逃れるというのが、『下流志向』
で議論しなければならない主要な問題である」と、內田氏は5年前に著書でこう書いている。その5年後、上述した「下流」現象のほか、政治家が國の責任から逃れる、これがまさに日本人から広く非難される日本の政治の特徴となりつつある。多くの地方の町長や村長が津波で行方不明となり、地方行政はマヒ狀態に置かれているのに、政府はいかなる事も即時に決定できないでいる。
「下流」は、すでに學校や工場、企業から、政界へと向かった。かつて世界を刮目させた日本人の執行能力は、どこにも見當たらない。
◆「3.11」の內閣の姿勢に日本人は失望
11年3月11日、地震と津波、原発事故が発生したあと、管直人內閣はいかに対応したのか。どんな指示を出したのか。
現在、幹部による個別の発言や數少ないメディアの報道を除けば、すでに詳細な記録を探し出すことはできない。しかも3月11日だけでなく、その後の何回にもわたる內閣関連の委員會の會議でも、調べられる記録はないのだ。
これは日本では非常に不思議なことである。日本は特に記録を重視する國であり、個人の間で日記を書くのがかなり広まっているだけでなく、一般企業の會議でも必ず詳細な記録が殘される。驚かされるのは、生死存亡のカギとなる時に至っても、日本の內閣がなんと関係會議、政治家の姿勢を記録に殘せなかったことだ。
経済評論家の山崎元氏は「原発事故の処理に當たっては、仮に詳しい會議記録がなければ、事故処理が正確だったかどうか、誰が事故処理に力を盡くしたか、誰にどんな問題があったか、今後、教訓をいかに吸収すべきか、といった判斷をするのは非常に難しい」と指摘する。
こうしたことから少なくとも、事故処理で、民主黨內閣がいかに混亂していたかが想像できる。
◆「消費稅」は政治家のゲームに