文=コラムニスト?陳言
2012年4月10日、東京新聞の論説主幹清水美和さんが亡くなった。享年58。
私が清水さんと初めてお會(huì)いしたのは2003年頃だったと思う。その後も幾度となくご一緒する機(jī)會(huì)があり、2006年にとある経済誌でコラムを順?lè)藫?dān)當(dāng)することになってからは、彼の記事をより興味深く読んでいた。
中國(guó)の政治に明るい清水さんの記事は、中國(guó)現(xiàn)代政治に関するものが多く『中國(guó)問(wèn)題の內(nèi)幕』という著作もある。日本語(yǔ)の“內(nèi)幕”は中國(guó)語(yǔ)の意味“不正を暴く”よりも“內(nèi)情”というニュアンスに近いだろう。
清水さんの情報(bào)源がどこかは詳しくは知らない。一時(shí)的に人々の話題に上る有名人についてなどは、私ならば記憶に留めないどころか分析したり関連情報(bào)を集めることもないだろうが、清水さんは知り得た?jī)?nèi)情を詳しく整理?分析した。今彼の本を読み返せば、そこに非常の多くの史実が反映されていることに気付く。
私は後に中國(guó)問(wèn)題の専門(mén)家から、清水さんが1977年に京都大學(xué)経済學(xué)部を卒業(yè)したこと、在學(xué)中は全日本學(xué)生自治會(huì)の委員を務(wù)めていたことを聞いた。77年ならば、中國(guó)の文化大革命が日本に及ぼす影響はかなり小さかったと思うが、多くの內(nèi)部抗?fàn)帳ⅳ盲孔灾螘?huì)という組織で委員を務(wù)めたということは、彼の政治闘爭(zhēng)に対する感覚の鋭さが容易に想像できる。
清水さん愛(ài)読の“ML”とはマルクス?レーニンの略稱であると周りの人間は長(zhǎng)い間考えていたが、文化大革命の重要人物である毛沢東と林彪を指すことが後になって分かった。これには中國(guó)人も驚くだろう。清水さんは60年代の終わりに學(xué)生運(yùn)動(dòng)をした世代よりも10歳ほど年下だ。私は左翼の活動(dòng)家を知ってはいるが、清水さんのように新聞社に勤めるような人物は非常に稀だ。日本の大手新聞各紙が原子力政策を支持する中で、「脫原発」の見(jiàn)解を論説主幹として示したことは、その経歴と少なからず関係があるだろう。