今回の釣魚島(日本名?尖閣諸島)紛爭において、日本は第2次大戦後の國際秩序を確定したカイロ宣言やポツダム宣言を可能な限り回避する一方で、1951年の「サンフランシスコ講和條約」を繰り返し説得材料として持ち出し、釣魚島は「サンフランシスコ講和條約」第2條に定める日本が放棄した領土に含まれず、同第3條の規(guī)定に基づき米國が信託統(tǒng)治し、かつ米日「沖縄返還協(xié)定」に基づき日本に返還された領土だと主張している。
だが「サンフランシスコ講和條約」は日本の助けにはならない。
まず、周知のように「サンフランシスコ講和條約」は冷戦という特殊な背景の下で、米國などの國々が日本と締結した片面的な講和條約であり、世界反ファシズム戦爭の勝利に重大な貢獻を果たし、重大な犠牲を払ったソ連や中國は排除されたうえ、カイロ宣言とポツダム宣言の精神に合致しない內容が多く存在する。1951年9月18日、周恩來外交部長(外相)は中國政府を代表して「米政府がサンフランシスコ會議で強制的に締結した、中華人民共和國の參加していない対日単獨講和條約について、中央人民政府は不法で無効だと考える。従って斷じて承認するわけにはいかない」と厳粛に聲明した。このため「サンフランシスコ講和條約」や中國に対しては何ら拘束力がなく、中日間の戦後の領土帰屬問題を解決する法的基礎では全くないのである。日本が中國に対して拘束力がないことを明らかに知りながら「サンフランシスコ講和條約」を証拠として持ち出すのは、手段として無力であり、手法として自他共に欺くものでもある。
次に、たとえ「サンフランシスコ講和條約」の規(guī)定に基づくとしても、釣魚島が日本側に屬すという結論は出てこない。第1に「サンフランシスコ講和條約」第2條は「日本國は、臺灣及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めている。ここで指す臺灣には釣魚島が當然含まれるはずだ。第2に「サンフランシスコ講和條約」第3條は信託統(tǒng)治の範囲について「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)」と大まかに言及するのみで、その具體的な地理範囲は明確にしておらず、ましてや釣魚島に明確に言及してはいない。しかも釣魚島は歴史的にも地理的にも琉球諸島の一部であったことはない。従って「サンフランシスコ講和條約」第3條の信託統(tǒng)治の範囲には含まれないのだ。第3に琉球列島米國民政府は1953年に釣魚島を勝手に管轄區(qū)域に入れ、後に米國は「沖縄返還協(xié)定」によって同島の「施政権」を日本に「返還」した。これは「サンフランシスコ講和條約」の中にもなんら法的根拠がない。