舊日本軍が戦闘で使った銃剣、戦火で破壊された家々――。河北省滄州市の収集家の王春生さんがこのほど、舊日本軍の中國侵略の罪を記録した2冊の「支那事変畫報」を記者に見せてくれた。
1937年8月3日に出版されたこの畫報は、日本の朝日新聞社が日本軍をほめたたえ、戦爭の成果を誇示し、日本の人々を扇動して中國侵略戦爭に加わらせるために発行されたものである。
王さんの収蔵する2冊の畫報は、第6號と第6號臨時増刊とされ、文章と寫真の紹介はすべて日本語で、表紙には「大阪毎日、東京日日特派員摂影」と書かれている。2冊にはいずれも行軍の作戦地図が載せられ、當時の作戦の戦事局面がはっきりと記されている。
畫報の一冊の「堅城滄州屠」のタイトルの付けられたページは、舊日本軍が津浦鉄路に沿って南下し、滄州を侵略?占領した過程が記録されている。もう一冊には、中國の北京?保定?タク州などを日本軍が侵略していった過程が詳細に紹介されている。
王さんによると、畫報の寫真と文章はいずれも、當時の日本の従軍記者が撮影?取材したもので、1937年の「七七事変」(盧溝橋事件)から1941年まで日本軍が中國を侵略したすべての戦線と戦役が記録されている。北京?上海?南京?武漢?済南?重慶?海南などの地に及ぶ日本人記者自らの手による寫真と文章は、中國侵略日本軍が中國で犯した大罪の反論できない証拠と言える。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2015年6月16日