これは中國を侵略した日本軍が1939年10月15日に、紅色抗日根拠地である延安の長翔、中國共産黨第八路軍の兵営、陝西大學(xué)などで撮影した空襲の寫真だ。寫真を見ると、複數(shù)の軍需品倉庫から火の手が上がり、延安の市街地のほとんどが黒煙に覆われていることが分かる。
重慶市北碚區(qū)檔案局(館)は6月30日、民間人が集めた抗戦資料の最新の研究成果を発表した。そのうち日本軍の従軍記者や軍が殘した多くの資料は、中國共産黨が指導(dǎo)する後方の抗戦の詳細な內(nèi)容を、ありのままに再現(xiàn)している。これらの日本の資料には、中國共産黨が指導(dǎo)した八路軍および新四軍が、危険な情勢のなか華北?華中の敵後方に進み、人々を集め遊撃戦を展開し、日本の強盜に痛手を負わせ、敵後方の戦場を切り開いたことなどが詳細に記されている。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2015年7月1日