日本軍が延安に大型爆弾を投下
馮館長(zhǎng)が提供したこの寫真は、北碚區(qū)檔案館が集めた、朝日新聞社の従軍記者が1939年10月に撮影した佐瀬航空部隊(duì)による延安爆撃の寫真だ。
日本軍の延べ71機(jī)の軍機(jī)が同年10月15日、4回に分けて延安に大爆撃を仕掛けた。36機(jī)が同日午前9時(shí)に延安を空襲し、100発以上の爆弾を投下した。午後2時(shí)になると35機(jī)が3回に分けて爆撃を行い、120発以上の大型爆弾を投下した。多くの家屋が出火し、10人が死亡、13人が負(fù)傷した。寫真には、延安周辺の陝北高原の地形が鮮明に寫されている。平らな都市部のあちこちから煙が上がっている。
北碚區(qū)檔案館はさらに、朝日新聞社の記事を集めた。「佐瀬、鈴木、松山の各部隊(duì)は午前11時(shí)半、紅色抗日根拠地の延安の長(zhǎng)翔、共産黨第八路軍の兵営、陝西大學(xué)、共産大學(xué)、第八路軍の政治部、外交部、その他の軍事施設(shè)に空襲を仕掛けた。複數(shù)の軍需品倉(cāng)庫(kù)に赤い火柱が立ち、延安の市街地の大半が黒煙に覆われた。山中の橫穴式住宅を利用した敵の防空壕もわが軍に粉砕された。午後も大規(guī)模な爆撃を続けた」
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」 2015年7月1日