紀元6世紀頃、隋朝は朱寛に異郷を探らせ、ミズチが海に浮いているような島を発見し、「流虬」と名付けた。その後、唐朝は「流求」と呼び、明朝に琉璃玉と真珠の玉を意味する「琉球」と命名された。
首里城は14世紀中葉から16世紀にかけて建てられ、中國の職人と後世の手で現在の姿になった。守禮門は中國式の牌樓のようで、2層の反り返った軒と中央の明朝皇帝から賜わった「守禮之邦」と書かれた額は、當時の琉球王國が中國の儒家文化の影響を深く受けていたことを感じさせる。