大猷院から出てくると、高くそびえる鳥居が目を引く。伝説によれば、太陽をつかさどる神が山の洞穴に隠れたため、人間は日光を失った。人類は高い骨組みを立て、雄鶏をそこに集めていっせいに鳴かせ、太陽神を洞穴から出し、光を再び放たせることに成功したのだという。
その後、唐文化が日本に伝わり、鳥居の様子も簡単な直線の骨組みではなくなり、唐代建築のスタイルを取り入れて上方の橫梁がかすかに持ち上がり、柱にも裝飾的な側(cè)腳が加わった。
鳥居に続く細(xì)い道は、古木の中に見え隠れしながら坂道をくねくねと上り、日光二荒山神社へと続く。二荒山とは、神社の所在地である休火山の男體山を指す。
神道の教えによれば、最も原始的な崇拜対象は山であり、このような神社が誕生したのも山神を祀るためだった。
だがその後、仏教が伝來した後、山神も、仏教における神に當(dāng)てはめられ、二荒山神は現(xiàn)在、「千手観音」も代表することとなっている。
二荒山神社は、「日光社寺」の一部分であり、1999年に世界文化遺産に入れられた。神社內(nèi)には、庭園の景色が完全な形で保存されている。
古代の建築は、春の花に彩られ、江戸時(shí)代の浮世絵の細(xì)やかで精巧な美をかもし出しているようだ。
本社から連なる建築の規(guī)模は広大で、その四方はそびえ立つ古木に囲まれている。神霊として祀られている古木も多く、縁結(jié)びや子寶、健康、平安などをそれぞれつかさどっている。
人々は、おみくじで大吉をひこうとするだけでなく、本當(dāng)の心に帰ったような安寧を求めて、遠(yuǎn)方からここにやって來る。