日本の安倍晉三元首相は今月1日、「臺灣有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と述べた。7日にはさらに「臺灣有事」には大陸部の臺灣地區に対する「直接的もしくは間接的なすべての進攻」が含まれるとし、「放任すれば日本も攻撃されうる」と述べた。これまでの麻生太郎副首相や中山泰秀防衛副大臣などによる臺灣地區関連の発言と比べると、安倍氏は中國に対してより赤裸々な內政干渉と戦爭の恫喝をしている。しかも中國の臺灣地區と日本の安全を結びつける彼らの論理は、日本帝國の拡張時代と酷似している。(筆者?胡継平中國現代國際関係研究院副院長、研究員)
安倍氏は「臺灣有事は日本有事」と述べたが、「空間的距離」を主な理由とした。自民黨の高官も以前、「臺灣有事は一般的に、日本にとって存立危機事態となる」と述べたが、臺灣地區と琉球諸島の距離が「目と鼻の先」であるというのが理由だった。この理由は非常に馬鹿げている。日本は島國であるが、大陸上の隣國が1本の線でしか隔てられていないことを知っているはずだ。まさかすべての國がこれを理由に隣國の內政に干渉できるというのか。しかも臺灣地區と琉球諸島のうち直近の島との距離も100キロ以上ある。
距離により自國の安全が紛爭の脅威にさらされると言うのは、日本の右翼の絶対的安全観を示す典型的な例だが、いかなる國であってもその安全は相対的安全でしかない。日本は近代に入ると、武力によって近くから遠くへと中國の臺灣地區と澎湖諸島、朝鮮半島、中國の東北地區を奪取?支配し、さらには中國の半分以上、東南アジア、太平洋の島國へと拡大した。しかしこれは自國に安全をもたらさなかったばかりか、帝國の破滅を招いた。拡張において、「朝鮮半島は日本の安全にとって極めて重要」「日本の満蒙の特殊な利益を保護」「米國の禁輸が日本の生存の脅威に」などが理由となった。靖國神社の「遊就館」の展示は現在も、これらの対外戦爭を「生存」と「自衛」のためだったと言い張っている。
誇大された國家安全の理由は當時、日本の軍及び政府の戦爭発動の口実であり、自國民の排外的で外國敵視の雰囲気を煽るツールであったことに注意が必要だ。日本の対外侵略、植民地支配、拡張はこれにより、國民全體の熱狂的な支持を集めた。少數の軍國主義分子が主な戦爭責任を負うべきだが、客観的に論じれば戦爭に盲従し支持した日本國民も責任を逃れられない。
戦後の日本は全體的に戦爭についてやや反省しており、多くの國民は再び戦爭に巻き込まれることを願っていないが、懸念すべき3點がある。まず、反省そのものが徹底されておらず、多くの日本人はその重點を自身の戦爭による被害に置いている。次に、右翼が戦爭の過ちを認めず、政界の右傾化が日増しに深刻になっている。それから、歴史教育が欠けており、若い世代の戦爭への理解が少なく、反省もより淺い。真珠灣事件80周年の12月7日、99人の國會議員が靖國神社を集団參拝した。これは日本の政治家、日本人の歴史観と戦爭観を見つめ直さざるを得ない。
このような歴史?文化的背景と政治の雰囲気により、日本の右翼の國家安全の脅威に関する喧伝、保守メディアの過激もしくは噓の報道は、國民の排外的で外國敵視の心理、安全の恐怖を直ちに引き起こしやすい。この安全の恐怖は近年、日本によるさまざまな安全立法の推進、軍事力建設の強化において効果を発揮した。これが極端になれば、日本が再び対外戦爭の道を歩む可能性も否定できない。冷戦後の日本の政治と世論の変化を観察すると、懸念すべき傾向が確認できる。
安倍氏らは現在「空間的距離」を強調しているが、これは右翼が日本の臺灣問題への干渉を煽るための口実に過ぎない。臺灣問題はいわゆる國益を手にするための単なるツールだ。彼らが懸念しているのは両岸の衝突そのものでさえなく、両岸の統一の実現だ。
中國の國家統一実現は至極當然であり、平和的統一を全力で目指す努力も周知の事実だ。臺灣海峽情勢が數年前の緩和から現在の緊張に変わったのは、「臺灣獨立」勢力の挑発の結果だ。安倍の輩による「臺灣獨立」を応援するやり方が、臺灣海峽の衝突のリスクを拡大することは間違いない。その真の目的は果たして地域の平和なのか、それとも意図的に両岸の衝突を煽り、機に乗じ憲法の拘束と外交の約束を顧みず「臺灣保護」を口実に中國と戦爭するよう日本を煽ることなのか。國際構造が変動するなか、日本の右翼は隙を突けると感じ、再び武力で危険を犯すことで利益を手にしようとしているのだろうか。戦後70年以上に渡る平和は日本の歴史において一度もなかったと言えるが、日本人は本當に戦爭の教訓を汲み取り、右翼が吹聴する絶対的安全がむしろ安全を脅かす危険性を意識しているのだろうか。再び惑わされ、日本に間違った道を歩ませることはないだろうか。我々はこれらに警戒する必要がある。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2021年12月9日