中日両國> 社會> |
360v360.cn |14. 09. 2024 |
時(shí)代ごとの新しい交流を
中國國際青年交流センター公益合作部科長 崔斌(談)
2012年に中國國際青年交流センターで働き出し、ほどなくして所屬部署の上司から中日青年の友好交流事業(yè)を振り返る一冊の本を勧められた。その本の中には、1984年に実施された「日本青年3000人訪中」が掲載されていた。
初めてこの美談を知った私は全身に衝撃が走った。受け入れ能力がまだ低かったあの時(shí)代に、當(dāng)時(shí)の中國側(cè)運(yùn)営がきめ細(xì)かく行き屆いた対応でこの大規(guī)模な交流活動を?qū)g施したことに感心した。何より大事なのが、訪中した日本青年の多くが今でも中日交流事業(yè)で活躍していることだ。
中國で植林?緑化ボランティア事業(yè)に取り組む日本の友好団體を接待した際、當(dāng)時(shí)訪中団団員だった村岡さんに出會った。當(dāng)時(shí)中華全國青年連合會主席だった胡錦濤氏との記念寫真を肌身離さず持ち、誇らしげに見せてくれた。當(dāng)時(shí)のことは、いくら歳月が経ってもなおも胸が詰まるものらしい。別れる日に両國の青年たちが名殘惜しさのあまり抱き合って泣いた人もいたという思い出話を聞いて、誠実な交流活動は青年の成長と友好の継続に計(jì)り知れない影響を深く長く與えられるのだと実感した。
學(xué)生時(shí)代も社會人になってからも、同世代の日本人との交流はとても実りのあるものだった。大學(xué)2年生の時(shí)に初めて參加した中日交流活動は、今でも記憶に殘っている。交流の一環(huán)としてそれぞれの夢を絵にしたとき、岡山県出身の青年は海を描き、海のように広い心を持つ人間になりたいと話した。彼の夢は、功利主義ではなく精神的な豊かさを重視するという日本の同世代の一面を見せてくれた。
40年前でも、10年以上前の私の學(xué)生時(shí)代と比べても、今の中日青年交流はより多くのチャンネルを持っている。大學(xué)、企業(yè)、地方政府、民間団體が次々と參入し、交流內(nèi)容もますます深く、実務(wù)的で専門化されている。
そのため、私たちは交流活動を企畫する際、最新の時(shí)事ネタを追い、起業(yè)?就職、気候変動、少子高齢化など今の若者が興味を持つ討論テーマを設(shè)けている。このほか、青年グループの特徴に応じて、大學(xué)生を?qū)澫螭司吐殼颔譬`マとするオンライン交流會を?qū)g施したり、青年企業(yè)家を?qū)澫螭酥腥枕n青年イノベーション起業(yè)フォーラムを開催したりして、より焦點(diǎn)を絞った交流イベントの企畫を進(jìn)めている。
私が今擔(dān)當(dāng)している「中日青年対話會(日本?中國青年親善交流事業(yè))」を例に取ると、この交流イベントは1978年の中日平和友好條約締結(jié)を記念して創(chuàng)設(shè)されたもので、79年から46年間続いている。時(shí)代の変遷とともにイベントの形と內(nèi)容も変わり、ただの対話と相互訪問から、特定のテーマを巡る踏み込んだ議論へと発展している。
現(xiàn)在の中日関係にはままならない點(diǎn)がいくつかあるが、40年前に3000人余りの日本青年が中國を訪問して両國の民衆(zhòng)の心に友好の種をまいたように、將來より多くの日本の若者が中國を訪れて友情と成長を得ることを切に願っている。 (王朝陽=聞き手?構(gòu)成)
「人民中國」 2024年9月14日