常州大學(xué)の9日の発表によると、同校紅色文化研究院の盧彥名研究員はこのほど日本から、南京大虐殺の史実を反映する2冊のアルバムを集めた。うち一部の寫真は初めて発見された。
1冊目は南京陥落時期に撮影されたもので、計73枚。そのうち、中國侵略日本軍第二碇泊場(南京碇泊場)の日常業(yè)務(wù)を記録した寫真は初の発見。盧氏によると、中國侵略日本軍第二碇泊場は南京下関埠頭の付近に位置する。南京大虐殺の期間中、そこは中國侵略日本軍の後方支援を擔(dān)當(dāng)し、さらに南京大虐殺の犠牲者の遺體を破壊し証拠隠滅するという極秘任務(wù)を帯びていた。このアルバムには、中國侵略日本軍第二碇泊場司令部の職員による集合寫真があり、同指令部の中心メンバーである梶谷健郎らの姿も見られる。
南京大虐殺歴史研究専門家で、江蘇省社會科學(xué)院研究員の孫宅巍氏によると、「南京大虐殺史料集」には梶谷健郎の日記などが含まれる。梶谷健郎は「午後は40人の苦力(クーリー)を指揮し、悪臭に耐えながら1000體以上の死體を処理した。見ていられないほどの酷さで、まさにこの世の地獄だ」と記した。このアルバムは、これらの史料の裏付けとなった。
2冊目は南京陥落時期に中國侵略日本軍が撮影した、中國の城兵が南京で建設(shè)した防空施設(shè)に関する150枚余りの寫真で、ほぼすべての寫真の下にキャプションとナンバーが付されている。盧氏は、「これは南京の防空施設(shè)の建設(shè)と、戦時中の防空戦を反映する資料集だ。これらの寫真は隠された監(jiān)視哨、射撃口、弾薬庫、防護網(wǎng)などを近距離で記録している。軍事調(diào)査を目的とした、日本軍の中國侵略の動かぬ証拠だ」と述べた。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2024年12月10日