文泉(チベット語名:ウドォオ?ゲラチャンチョ)、チベット族、四川省アバイ(阿壩)出身のチベット學(xué)研究者。現(xiàn)在、外交學(xué)院國際交流センター主任。國際交流、外交上のエチケットに関する教育及び國際交流センター管理などに従事している。2003年、國家機(jī)関優(yōu)秀青年稱號を授與。中國チベット學(xué)研究者代表団一員として何度となく歐州を訪問。先ごろ、「チャイナネット」記者の単獨インタビューに応じてくれた。チベット學(xué)研究者の成長と経歴、思考を通してチベットへの理解と認(rèn)識を深めることができた。
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北京「王府」で高校生活
少年時代、文泉は選抜試験に合格して、故郷の四川省アバ?チベット族自治州(現(xiàn)在のアバ?チベット族チャン族自治州)紅原県から北京に來て高校に入學(xué)した。故郷はかつて紅軍が長征で通ったことのある草原で、紅原県の名はそれに由來し、周恩來総理が命名した。牧畜業(yè)の県である。
文泉が學(xué)んだ學(xué)校は中央民族學(xué)院付屬中學(xué)。西単小石虎胡同33號にあり、清王朝の王府だったところだ。生徒は雲(yún)南省や広西チワン族自治區(qū)、四川省、寧夏回族自治區(qū)、チベット自治區(qū)など、40を超える少數(shù)民族がここで同級生として一緒に勉強(qiáng)し、一緒に生活し、民族による隔てはなかった。この學(xué)校はすでに100年近い歴史がある。前身は清代末期に創(chuàng)立された國立蒙藏學(xué)校で、蒙古族とチベット族の貴族の子弟を育成する學(xué)校だった。解放後、民族中學(xué)に改名。卒業(yè)後、中央民族大學(xué)歴史學(xué)部で學(xué)ぶ。大學(xué)卒業(yè)後はずっと外交學(xué)院で仕事をしている。
北京に來て以降、平原地帯の酸素に富んだ自然條件に適応するのが大変だったが、生活面でも克服しなければならない困難は多かった。例えば、牧畜地區(qū)出身の文泉にとって、ヨーグルトは欠かせない食べ物。とはいえ、80年代初めの北京にはまだヨーグルトはなかった。
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