今年、中華人民共和國共和國は成立60周年を迎える。この60年間、各界の人々が國の建設に力を注いできた。その中から時代の模範といっても過言ではない代表を10人選んだ。年代も立場も異なる彼らには共通點がみられる。彼らは各自の持ち場において突出した貢獻を果したほか、道徳的な模範となり、それぞれの年代において社會の風潮をリードしてきた。ここで、庶民の英雄に敬意を表するとともに、彼らの物語の中から時代の軌跡や60年間にわたる中國社會の主流の価値観をのぞいてみたいと思う。
邱少雲(1931年?1951年)、重慶市銅梁県出身。1949年12月、中國人民解放軍に入隊。1951年、朝鮮戦爭中に戦死。死後、中國共産黨黨員に追認される。
1952年10月、中國人民志願軍第15軍第29師第87団第9連の戦士だった邱少雲は上甘嶺の米軍と韓國軍に攻撃を仕掛けるための潛伏部隊に抜擢され、攻撃後の障害物を取り除く爆破任務を擔った。12日午前、敵機が彼の潛伏する地域に低空亂射と焼夷弾を投下し、飛び散る焼夷剤が彼の全身に燃え移った。それでも彼は潛伏場所が敵に知られないよう燃え盛る身體をびくとも動かさなかった。彼の両手は土の中に深く突き刺さり、身體は地面にぴったりとつき、その犠牲の姿は壯烈だった。
邱少雲の崇高な集団主義の精神と頑強な革命の意志を稱え、中國共産黨志願軍委員會は彼を共産黨の正式な黨員と認めた。中國人民志願軍指導機関は1952年11月6日に死後殊勲を列記し、1953年6月1日には「中國人民志願軍1級英雄」の稱號を授與した。同年6月25日、朝鮮民主主義共和國最高人民議會常務委員會が「朝鮮民主主義共和國英雄」の稱號とともに、金星メダルと一級國旗勲章を授與し、邱少雲の名を金化西側の391高地の石壁に刻んだ。「集団のため、勝利のため犠牲となった偉大な戦士?邱少雲同志の名をここに永遠に留める」。
?人民網日本語版?2009年9月11日