今年、中華人民共和國共和國は成立60周年を迎える。この60年間、各界の人々が國の建設に力を注いできた。その中から時代の模範といっても過言ではない代表を10人選んだ。年代も立場も異なる彼らには共通點がみられる。彼らは各自の持ち場において突出した貢獻を果したほか、道徳的な模範となり、それぞれの年代において社會の風潮をリードしてきた。ここで、庶民の英雄に敬意を表するとともに、彼らの物語の中から時代の軌跡や60年間にわたる中國社會の主流の価値観をのぞいてみたいと思う。
孔繁森、1944年、山東省の貧しい農(nóng)家に生まれる。18歳で入隊し、7年後の1966年に中國共産黨に入黨。1969年に復員後、労働者となり、その後國家?guī)植郡藪i擢される。1979年、國が內(nèi)陸部の幹部を引き抜いて西蔵(チベット)に派遣する際、當時地區(qū)黨委員會宣伝部の副部長だった孔繁森は自ら名乗り出る。
チベット入り後、孔繁森は日喀則(シガツェ)地委員會宣伝部副部長に就く予定だったが、現(xiàn)地の黨委員會は彼の若さと能力を見込んで本人の意見も聞いた後、海抜がもっと高い崗巴県の県委員會副書記として派遣する。同県での3年間、彼は全県の村や遊牧地、貧しい家庭を訪ね、地元の住民と共に刈入れや脫穀、畑仕事、水利修理に勵む。1993年、チベットでの任期は満了したもののチベットに殘り、阿里地委員會書記を務めた。彼の勤勉な取り組みによって阿里経済は比較的速い発展を遂げた。1994年11月29日、任務を終え阿里に戻る途中、交通事故に巻き込まれ殉職。享年50歳。彼の死後、江沢民総書記が1995年4月29日、「孔繁森同志に學べ」と自筆で認め、孔繁森はすべての共産黨員と國家?guī)植郡文9牑趣胜盲俊?
?人民網(wǎng)日本語版?2009年9月15日