「大熊貓」の名前の由來は?
1869年春、四川省寶興県にやって來たフランス人神父のアルマン?ダヴィド(Armand David)が、熊に似ているが黒と白の模様のおかしな動物を発見し、すぐに「黒白熊」という名前をつけた。「熊貓」という名前にはもう一つのおもしろいエピソードがある。パンダが発見された後、顔が貓のようであることから、中國語の名前は「貓熊」と正式につけられた。重慶北碚で展示された際、名前の表示が現(xiàn)代漢語の書き方にならって左から右に書かれていたことから、古い書き方しか知らなかった人々は右から左に読み、「貓熊」を「熊貓」と読んでしまったのだという。それが伝わって現(xiàn)在の「熊貓」になったという話。
パンダは何を食べるの?
パンダは野外環(huán)境では竹を主な食べ物とし、時(shí)折タケネズミを捕食することもある。人工飼育條件下での食べ物は比較的豊富で、竹、窩頭(トウモロコシなどで作った蒸しパン)、西瓜、りんご、人參などが挙げられる。
パンダは一日に何時(shí)間食べている?
一番の食いしん坊は誰かというなら、それはきっとパンダに違いない。竹によって摂取されるカロリーには限りがある。パンダは體內(nèi)の必要を満足させるため、季節(jié)によって竹の異なる部位を朝から晩まで食べている。晝夜を問わず、採食時(shí)間は14時(shí)間にも達(dá)する。時(shí)には肉食も「解禁」して、タケネズミや小鳥なども食べる。パンダは食欲旺盛でよく食べ、成年のパンダ一頭は毎日竹8kgから10kg、または筍38kgから40kgを食べる。間違いなしの大食漢だ。人工飼育下では、竹だけでなく、りんごや人參、窩頭などが與えられる。
パンダが「水に酔う」というのは本當(dāng)?
パンダは時(shí)折、水を飲み過ぎ、お腹をふくらませ、酔っぱらいのようになることがある。よろよろとした足取りで、水辺にへたばる。民間ではこれが「水を飲んで酔っている」のだと言われる。ある學(xué)者はこれを正常な生理現(xiàn)象だと言い、別の學(xué)者はパンダが病気なのだと言う。
パンダはどこに住んでいるの?
パンダは一人歩きの動物。発情期以外はほかのパンダと一緒に活動しようとしない。普通は固定した巣はなく、移動しながら食べている。四川や陜西、甘粛などの海抜2000mから3000mの森林をぶらぶらしている。人の少ない森林地帯の大部分は切り立った高い山だが、低い勾配の丘が波打っているところもある。あたりは鬱蒼とした原始森林だ。木の間からは雲(yún)や霧が見え、もやが漂っている。空気は濕り、泉も豊富で、こけがどこにでも生えている。生い茂った植物の中には竹類がたくさんある。ここで暮らすパンダは一年中、竹と泉の間を行ったり來たりしながら、「竹林の隠士」の日々を過ごしているのである。
パンダは群れを作る?
作らない。パンダは普段、一頭だけで放浪生活を送っており、春の発情で相手を求める時(shí)だけ短い間集まり、交配が終わるとそれぞれ自分の陣地に帰る。
なぜパンダは夜でもものが見えるの?
パンダの目の瞳孔は縦に細(xì)くなる。これは円形の瞳孔よりも光線を調(diào)整しやすい。視細(xì)胞の中では、桿體細(xì)胞が錐體細(xì)胞よりも何倍も多く、夜間でものを見るのに適した構(gòu)造となっている。
パンダはなぜ友好の使者と言われるの?
パンダによって外部と疎通?交流する歴史は唐代にまでさかのぼる。武則天は、特別な贈り物としてパンダを日本に贈った。パンダは竹林の深い所からでてきて、中國も國の門を開け、各國と良好な外交関係を築いた。1949年からは、パンダは一風(fēng)変わった友好の使者となり、ソ連や朝鮮、日本、米國などに足跡を殘し、そのかわいらしい姿で各國の人々に明るい思い出を作った。
パンダはどんな環(huán)境の脅威に直面しているの?
このかわいいパンダという動物は生存の危機(jī)に直面している。その危機(jī)は、パンダ自身によるものでもあり、外部環(huán)境と人類によるものでもある。
このうち最も知られているのが「竹開花災(zāi)害」である。パンダの食べ物が竹が中心なので、竹がいっせいに開花して枯れると、パンダは食糧不足となって生存の脅威に直面する。またパンダ生息地の人類による利用の加速は、パンダ生息地の面積を減らし、パンダの故郷はどんどん狹まっている。さらに深刻な脅威は、パンダの住む環(huán)境が道路や農(nóng)地、林地によって「孤島」化し、異なる地域のパンダの個體群の交流に影響し、近親繁殖によって個體群が退化し、「孤島」のメンバーの消失につながる可能性があるということだ。