高原に暮らし、子孫を殘してきたチベット族は、さん然と輝く伝統(tǒng)文化を創(chuàng)造してきた。極めて地域的な特色に富むその文化は、世々代々受け継がれ、いまでも衰えることはない。民主改革50年來、とくに改革開放以降、中央政府は大量のヒト、モノ、カネを投入して、チベットの優(yōu)れた伝統(tǒng)文化の保護と発揚に力を傾けてきた。自治區(qū)の文化の保護や発展で収めた成果は、過去のいかなる時代とも比較することはできない。
この50年來、チベットの民俗や文化、民間の歌舞は世界に向け次々と歩み出した。多くの文化人が語る。「文化は決して変わるものでなく、伝統(tǒng)文化は時代と共に発展していかねばならない。チベット族の生活も近代文明と歩調(diào)を合わせ、人類文明が発展してきた今日の成果を共有することが大切だ」。
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1、タンカ――世界へ羽ばたつ巻き軸畫
甘粛省ガンナン南チベット族自治州のタンカ展示センター。有名な絵師によるタンカがずらりと並ぶ(2008年5月6日)
同日、タンカづくりを指導するグオルオ?シラブ絵師(左)。
タンカ(唐卡)はチベット仏教文化の特色が色濃い彩色の巻き軸畫。絵畫や裝飾、工蕓、刺しゅうが一體化され、すでに千年以上の歴史がある。描かれた內(nèi)容の多くは、仏教に出てくる人物や故事だ。自治區(qū)の社會や文化、観光の発展に伴い、チベット民族の絵畫蕓術の粋を集めたタンカも伝承、発展し、數(shù)多くの精美なタンカ作品が高原から世界の蕓術の殿堂に仲間入りした。チベットが世界に贈る「文化の名刺」となっている。
過去、タンカは師弟の間で伝承され、その関係も叔父や姪、伯父や甥が多く、蕓術家が昔は寺院に集まっていた。改革開放後、徐々に社會化が進むにつれ、多くの蕓術家がタンカの創(chuàng)作は経済條件の改善につながると意識し始め、弟子を広く求めるなど、家庭を単位にタンカの開発と創(chuàng)作、販売を行うようになった。
ラサ市リンチョウ県生まれのドンジュさんは、八廊街で2つのタンカの工房を営む。40平方メートル前後と広くはないが、次々と訪れる客からむしろ成功していることが分かる。
彼には誇りがある。「いま、親戚の多くがタンカに攜わっている。わが家もおかげで良い生活を送れるようになったし、タンカを予約する內(nèi)外の観光客はひっきりなしだ。注文が増え、絵師も忙しくなって、タンカの名も知られるようになってきた。タンカはわれわれ大家庭にとって大きな収入源だ。収入が増えて豊かになり、タンカというチベット族の伝統(tǒng)文化をさらに発展させ、輝かせることができた」
現(xiàn)在、タンカ伝統(tǒng)の叔父や姪、伯父や甥が伝承する習慣も次第に新しい、何の血縁関係もない純粋な師弟関係にとって代わりつつある。伝統(tǒng)として男性に伝え、女性には伝えないという習俗も姿を消した。ドンジュさんは「伯父はこれまで米國や日本など6人の徒弟を受け入れたが、內(nèi)地の徒弟はもっと多い。女性もいた」。タンカ蕓術の伝承はその技蕓、その完ぺき性を重視する新しい時代に入ったようでもある。