中國國際救援隊が東日本大震災(zāi)の重大被災(zāi)地、巖手県大船渡市で捜索救助活動を始めてから16日で3日目を迎えた。記者が中國地震局に取材したところ、現(xiàn)地の天候は肌寒く、風(fēng)雪が交じり、隊員らは幾十もの困難に面しているが、ローラー式による捜索活動展開に努めており、わずかの希望も失っていない。「人民日報」が17日付で伝えた。
中國國際救援隊は大船渡の被災(zāi)地に海外救援隊として初めて到著した。捜索活動の効率を高めるべく、捜索隊は2チームに分かれている。ひとつは偵察チームで、現(xiàn)場で探査や現(xiàn)地住民に問い合わせるなどして、重點家屋を迅速に定めている。さらに捜索チームは人手と生命探知機など技術(shù)的手段を駆使し、的確な捜索を行っている。
津波で大多數(shù)の木造家屋が破壊されたため、隊員らは崩れた柱のすき間から1カ所ずつ捜索するしかない。15日午前7時10分ごろ、ローラー捜索の途中、損壊した家屋1棟の2階からお年寄りの遺體を発見した。大船渡の海外救援隊が発見した初めての遺體となった。
同日までに、中國國際救援隊は200棟以上の倒壊家屋を捜索、國際慣例に従い各棟に捜索済みの表記を記している。
この數(shù)日間、現(xiàn)地では余震が続き、津波のおそれもあった。大船渡では現(xiàn)在、燃料や生活物資が大幅に不足しており、救援隊の生活保障も深刻な問題となっている。救援隊黨支部は、隊員の生活物資を抑制することを決め、貴重な水を節(jié)約するため、隊員らは被災(zāi)地到著後は顔も腳も洗っておらず、歯も磨いていない。「我々は毎朝6時に集合し、チームに分かれて活動を展開、夜に任務(wù)を終えている。1日の活動時間は10時間以上」。林大冪?隊員は「活動時には、我々は高カロリーのパンを2つ攜帯、そしてビタミン類をミネラルウォーターに入れて溶かし、一日の體力を維持している。夜にキャンプに戻ってからは、お湯を飲みインスタントラーメンを食べるしかない」と語る。
15日夜、強い寒気が被災(zāi)地を覆い、大船渡市にも大雪が降り、夜間の気溫は0℃以下となり、寒さが救援隊の直面する新たな困難となった。
中國國際救援隊の活動の順調(diào)な展開と隊員の人身の安全を保障すべく、中國地震局は放射能防護(hù)服20著を用意、早急に日本に送り屆けた。
中國國際救援隊の日夜にわたる努力に大船渡市民も感動している。被災(zāi)者の一人、村野さんは、救援隊を助けるために、ずっと前後を追っている。「中國は私たちの隣國。最も困難なとき、中國の救援隊が真っ先に駆け付けてくれて、非常に感動している。救援隊を手助けすることは、私たち自身を救うことでもある」。
中國國際救援隊は救援任務(wù)を無事完遂しているほか、さらに現(xiàn)地住民のテント設(shè)営、物資輸送、交通整理も支援している。
15日午前、大船渡市の戸田公明市長が中國國際救援隊を慰問に訪れ、中國側(cè)に感謝を述べた。家財を取りに続々と家に戻る現(xiàn)地市民らは、救援隊員が危険を顧みず廃墟に入り捜索を続けているのを見て、感動し中國語で「シェシェ(ありがとう)」と何度も繰り返した。
「現(xiàn)地市民からの敬意に背中を推されている」と救援隊の徐志忠?連絡(luò)官は語る。中國國際救援隊の公式ミニブログに書き込まれたひと言が隊員らの心の聲を代弁している。「今回の活動はこれまで経験した救援活動の中でも最も災(zāi)害が多い。余震、津波、放射能漏れ、低溫など多くの危険と困難にさらされている。しかしどれほど危険であろうと、災(zāi)害の第一線で力を盡くしたい」。
「人民網(wǎng)日本語版」2011年3月17日