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河南省濮陽県西辛莊村共産黨委員會書記。長年、苦労に耐え、自己犠牲も厭わずに村黨委員會の人々を指導。現地では有名な貧困村であった西辛莊を、1人當たりの平均年収が1萬元を超える「全國文明村」に建て直す。
1991年、野菜栽培の専門家であった40歳の時、西辛莊村の黨支部書記に當選。「私は中國共産黨の黨員であり、村幹部でもある。自分の生活だけが豊かになるなどというのは問題外。村民すべてが裕福になれるかどうかが、手腕のみせどころ」
まず、自分の得意とするビニールハウス栽培によって改革をスタート。個人で所有していたビニールハウスを2軒の貧困農家にそれぞれ譲り、さらにビニールハウス栽培をやりたいという者があれば、資金集めを手伝い、ローンを組むために奔走し、無償で技術指導をすると村內放送で広く知らせた。ビニールハウス栽培に攜わる農家は、初年度で20軒余り、2年目には40軒に増えた。西辛莊はままたくまに野菜栽培専門の村となり、野菜栽培だけで平均収入が800元余り増えた。
また、村民を指導して農村企業の株式合作制の製紙工場を建設。「村のすべての家庭に工場の労働者がいて、同時に株主でもある」という狀況をつくり、青年や壯年の就業の問題を解決。平均年収が700元足らずであった貧しい西辛莊は、現在18の企業を有し、平均年収は1萬1800元に達した。
人民中國インターネット版 2007/09/12