中日関係に言及すると、いつも?歴史を鑑みとして、未來に向かう?というキャッチフレーズを耳にする。?歴史を鑑みとして?の中の?歴史?は、言うまでもなく、中日関係の発展の過程を指しており、次ぎの三つの特殊な時期が含まれるべきであろう。(1)2000年にわたる友好往來の歴史、(2)近代、日本軍國主義が中國を侵略した歴史、(3)戦後數十年らい、中日関係の円滑な発展を促すため、中日両國の友好人士及び有識者の苦心、奮闘の歴史。第(2)段階の不愉快な歴史を忘れるわけにはいかないが、第(1)と第(3)の歴史をも忘れてはならない。この三つの段階の歴史を全面的にとらえてこそ、正しい歴史観を確立することができ、生やさしいことではなかった中日友好関係を大切にする責任感と使命感を確立することができるのである。
1986年10月21日、中國人民解放軍総政治部の余秋里主任は北京で日中平和友好會の訪中代表団一行を會見した。(前の左から四人目は余秋里主任、前の左から三人目は金丸千尋団長、前の左からの五人目は花薗昭雄秘書長)
解放軍第70病院一所の醫師全員の記念寫真(前の右から2人目は麥倉元さん)
天水市中日友好桜花パーク記念碑の除幕式に參加した天水會のメンバーたち
數多くの日本人が解放戦爭期間に光栄にも獲得した記念バッジと褒章(左から:東北解放記念バッジ、華北解放記念バッジ、華中?華南解放記念バッジ、解放褒章)
1945年に日本が降伏してから新中國が成立するまでの特殊な歴史と特殊な環境において、數多くの日本人が中國各地に殘って働き、中國の革命と新中國の建設事業のため貢獻し、仕事に打ち込む中で中國の人々との友情を育み、信頼関係を築き、中日友好の原點となった。彼らの感動的な事績及び國際主義精神は、今の人たちにも銘記されている。
?チャイナネット?2007年9月25日