小沢一郎?民主黨元代表の資金管理団體「陸山會」の土地購入を巡る政治資金規(guī)正法違反事件で、東京第5検察審査會は4日、小沢氏を起訴すべきだとする「起訴議決」を公表した。これを受けて民主黨上層部は13日、會合を開いたが、小沢氏の処分について結論は出なかった。
小沢氏は日本政界において重要な地位にあり、政治における権謀術數の集大成とも言われる。自民黨の故金丸信氏はかつて、「平時の羽田、亂世の小沢、大亂世の梶山」と評したこともある。小沢氏は先月の黨首選挙では敗れたものの、依然として日本政界で大きな影響力を持つ人物である。
小沢氏は「王者の製造者」だ。同氏はかつて自民黨の最大派閥?竹下派の中心人物であり、首相になるためには、黨內のいかなる人でも小沢氏の支持が無くてはならなかった。海部俊樹政権の崩壊後、宮沢喜一氏ら3人が首相の地位を爭った際も、みな小沢氏を訪ね、「面接」を受けた。自民黨を離黨した後も、小沢氏は引き続き「製造」を続け、細川、羽田、鳩山內閣を操作?支持し続けた。
小沢氏はその一方で「破壊者」でもある。1993年、鳩山兄弟が自民黨を離黨し「新黨さきがけ」を設立した後、小沢氏らも黨內抗爭の結果自民黨を離れ、「新生黨」を立ち上げた。小沢氏はその後、「非自民」勢力を集めて自民黨の政権を失わせた。1994年に「新生黨」が分裂し、小沢氏は「新進黨」を打ち立てた。1998年、小沢氏はさらに「新進黨」を離れて「自由黨」を結成。2003年に小沢氏は「自由黨」を率いて「民主黨」と合併し、2006年には黨代表に就任、2007年の參議院選挙で勝利を収め、安倍首相を首相の座から下ろし、さらに2009年には自民黨の政権を再び奪った。