文=陳言
福島原子力発電所を運(yùn)営する東京電力の武藤栄副社長(zhǎng)は私と同じ東京大學(xué)の出身で、私の先輩にあたる。「日本一」の大學(xué)として知られる東大出身の有名人は多いが、その中でも武藤氏はずば抜けている。
テレビで見ると、今年60歳になる武藤氏はいつも作業(yè)服に身を包み、人柄が穏やかで、口調(diào)が厳格、まさに「東大の雰囲気」を漂わせている。
原子力発電に関しては絶対的なプロで、「日本の原子力発電の父」との異名を持つ。彼の発言は枝野幸男官房長(zhǎng)官よりも重みがある。枝野氏は弁護(hù)士出身で、原子力発電に関して何も知らないからだ。
巨大地震発生から1時(shí)間と経たないうちに、武藤氏は東京電力本部のビル屋上に泊めてあったヘリコプターで福島に駆けつけた。そのときまだ津波は來ておらず、原発は電源を失ってはいたが、非常用電池とディーゼル発電機(jī)がまだ運(yùn)転していた。しかし何かの危険を察知した武藤氏はヘリで原発に向かった。
自衛(wèi)隊(duì)の幕僚が首相になれないように、技術(shù)力で一番の者は東京電力の社長(zhǎng)になれない。ただ、原子力技術(shù)の処理問題となると、武藤氏の號(hào)令が最も権威がある。
事故の評(píng)価がレベル4からレベル5へ、そしてさらにチェルノブイリ原発事故と同じレベル7に引き上げられた後、広報(bào)部、社長(zhǎng)、會(huì)長(zhǎng)が順番で説明を行ったが、最終的には武藤氏を出さざるを得なくなった。原子力発電の父である彼が発言しないわけにはいかなくなったのだ。